2006-02-23
懐かしい楽団 NO 1434
昨号のリミットさんの追記だが、コメントに会葬礼状のことがあった。お通夜と葬儀の会葬礼状は日本トータライフ協会のオリジナル、誰も読まないような難しい挨拶文が記載された礼状とは全く異質なもの。これも無駄を省こうという観点からメンバー達が考え出したものである。
会葬礼状は、それこそ百人百様が理想だろう。男性と女性で異なるべきだし、同じ年齢であっても「ご隠居さん」と「大黒柱的現役」さんとでは違うべきだろう。そんな思いから生まれた礼状があちこちで評価されてきている。
さて、昨夜、久し振りにテレビを観た。「その時歴史が動いた」で「北里柴三郎」さんを採り上げていたからだが、大砲で国を守ることより検疫で防御することの重要性、そして戦勝に国民が沸く姿に「文化国家じゃない」という考えを有しておられたことに感銘を新たにした。
時は、明治の初め、そんな時代にこんな哲学を有していたことに驚きだが、番組の中で江戸時代にコレラが流行し、神仏に祈る祭りで踊り呆ける場面があり、人々の弱さと愚かさが何時の時代にもあるものだという思いも。
この番組の前に観た教育テレビ、地球をテーマにしたドキュメントも素晴らしかった。宇宙に飛び交う隕石の塊と地球との衝突メカニズムだが、こんな研究を行っているのはアメリカだけだそうで、その予算が微々たるものにも驚き。
かつての恐竜時代が絶滅したように、いつ、人類が滅びるか分からない危険性を秘めている現実に恐怖を感じ、ドラマティックに編集された宇宙の神秘に心を奪われてしまった。
隕石が地球軌道に乗って接近、それを核ミサイルで迎撃なんて映画があったが、そんなことが何の役にも立たない解説に続き、その後遺症の恐ろしさも分析されていた。
この数年、テレビを観ないようになってしまったが、「品」の欠片もない低次元なお笑い系があまりにも多過ぎるし、国会の党首討論まで「お粗末」になっているのが悲しい限り、少なくとも未来を見据えるパワーを感じさせて欲しいと願っている。
ライブドア事件の報道を聞きながら、ある特徴を感じている。彼らの「オシャベリ」技術が共通しているということ。「えー」が連発され耳障り、これらは表裏 が異なっている際に特に増えて来るもの。「自信のなさ」を自ら吐露しているような現象で、自分が嘘発見器みたいになっている状態とも言えるだろう。
同じタイプに政治家が多く、プロである筈のテレビ・アナウンサーにも少なくない。司会者としてタレントを紹介する場合に好き嫌いがはっきりと伝わってくる。だからプロとは呼べないレベル。言葉とは、その人の内面を見せてくれる面白いものなのである。
新聞の広告に目をやると<!>があった。フェスティバル・ホールでアダモのコンサートがあり、一方で懐かしいタンゴのアルフレッド・ハウゼ楽団の演奏もあ る。ハウゼは私が中学生時代からのファン、「美しく甘きハウゼのタンゴ、名曲の数だけ幸せになれる!」というフレーズが憎い。
タンゴに名曲は多いが、「ジェラシー」の途中でコロッとイメージが変わる旋律が好き、悟りから希望への心変わりを見事に表現しているから。シーンの女性メンバーさん達を募って団体で聴きに行きたいコンサートである。