2007-01-14

津波情報から  NO 1747


 千島海溝で大地震があった。それを知ったのは立ち寄った喫茶店のテレビの画面から。ママさんが観ていたドラマ番組の片隅に日本列島の地図があり、太平洋側を赤と黄色でチカチカ縁取っていた映像を目にしたからだ。

 気象庁発令の津波警報と注意報だが、それを「発表せよ」と決断する責任者の立場も大変だろうと想像した。

  これまでに何度か書いた私の臆病な性格だが、こんなケースでは「臆病になるべき」と断言する。津波が襲来しなかってもよいではないか、「来ないのに『避 難』させるな」なんて「非難」は絶対にしないで欲しいもの。それによって多大な経済損失が生じるという学者の分析もあろうが、自然災害で失う一人の命の存 在を思い、それが自身や自身の家族と考えればどう選択するべきかは必然であろう。

 今の社会は何でも経済的なことが優先されてしまうようだ。世界中で起きている異常気象でも早急に対策を講じなければ取り返しのつかない状況なのに、時の権力者や政治家は支援者や党の利益第一主義で行動してしまっている。

 孫や曾孫の時代はどうなるかと考えれば誰だって理解できる筈だが、人とは愚かなもの、目前の自身の利益道に邁進してしまうからである。

 最近に話題になっている曲がある。「千の風になって」という曲だが、これについては随分前に書いたこともあるし、弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバーが歌ってレコーディングしている事実もあり、その歌詞については昔から興味を覚えていた歴史もあった。

「墓になんていない」「風になって」というような歌詞が出てくるのだが、ここで考えて欲しいのは「死後観」である。

極楽、浄土、天国なんて言葉もあるが、最近の若い人達の間には結構「宇宙観」につなげる考え方があるようで、既成の宗教や形骸化した葬送の形式に抵抗感を抱く人と抱かない人のパーセンテージが揺らぎながら時に薄らぎ、時に強くなる不思議な傾向を感じている。

「死に対して謙虚であれ」というのが私の考え。その姿勢があれば「生かされている」との立場で日々を過ごすことになり、確実に終えることになる人生終焉までに素晴らしい友人達との出会いがあることになるだろう。

「俺は、生きている」なんて傲慢な人間は最悪、どこかのボクシング関係者や行き先が決まらないプロ野球選手のような人格が、どれだけこの世で損するかも測り知れなく、その晩年が非常に寂しいものになるだろうとアドバイスをしたい。

 葬儀という終焉の場から遡ってくると様々なことに気付くであろう。途中でどれだけの人達が離れていったかも知ることになるだろうし、自身が想像していたよりもちっぽけな人間であったという現実を知り、大きな誤解をしていたことを悟ることになる筈である。

 人は謙虚であるべき。それは他人に対しては勿論だが、少なくとも自然に対してそれを忘れたら悲劇の道を選ぶことになると知って欲しいものだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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