2007-04-12

とんでもないかな?  NO 1832


 中国のVIPが来日されている。日中の複雑な問題を互いが様子を見ながら対峙し、カードを出し合う光景が外交スタイルだが、両国と地球全体のプラスになる結果を願いたい。

 さて、小泉前総理の任期終了前、次の総裁選が近付くに連れ靖国問題が喧しかった。政治家の参拝是非や分詞問題がエスカレート、そこに火に油を注ぐような不思議なタイミングで日経が出した昭和天皇のメモの存在から余計にややこしくなってしまった。

 今後、どんな決着を見ようと後味の悪い結果となるのは必然であり、戦争、宗教、政治、思想、感情などが入り交じって混乱するだけに簡単ではないだろう。

 こんなことを葬儀社の立場にある私が書けば噴飯されるだろうが、新聞や雑誌に登場していないようなので批判を覚悟して触れてみる。

 結論として、どんな決着になろうが中国や韓国が納得をすることはないだろう。歴史の修復はパンク修理とは次元の異なる問題。次々に新しいイチャモン・テーマを出して半永久的に続きそうな気もする。

 靖国神社は特別な存在として理解されているが、神社と呼ばれるところから誰の目にも
「神道」と認識されている。そこに祀られている戦死者の中に韓国や中国の人達が存在することも問題をややこしくしているようだ。

  ここで「神道」の「葬儀」という観点から考えてみよう。「御霊代」や「霊璽」という言葉があるが、葬儀の前日の夜に行われる遷霊の儀式がある。斎主が「灯 り」を手にされ故人の霊を誘導し、仏式で言うところの位牌のようなところに納める神式独特の儀式だが、この間は室内の照明をすべて消灯して行う神事となっ ている。

とすれば「こんな重要なことを短絡的に考えるな」と叱責されそうだが、分詞しなければならないとするなら「斎主」によって元に戻すことも不可能ではないのである。

  ここで問題になるのが韓国や中国の思想である。国教がないと言うべき両国だけに複雑だが、もしも彼らの国にしっかりとした国教的な存在があれば、その教祖 や宗教を代表する人達を招き、彼らの儀式作法によって彼らの国籍にある人達を先ずは分詞することが出来るだろう。もちろん、それらは霊魂思想の上に成り立 つものだが。

 まさか盛大な集団結婚式で有名な「統一教会」や、国際手配されている「摂理」の教祖では不可能だが、その国の何宗を問わず宗教者と称される全ての人達を招いて彼らのやり方で納得に至ることをさせてやるぐらいの度量も必要だろう。

 平和を祈念するメモリアルパークという提案も多いようだが、まずは靖国内でのシナリオをしっかりと決めて遂行し、誰もが賛同する決着を描ける総合プロデュースが重要だろう。

  国内にも様々な宗教の存在があり、それぞれが様々な意見を出して来るだろうが、相手国の儀式に則り、外国籍にある人達の分詞に対する異論を唱えるなら宗教 者ではないと思う。なぜなら宗教とはグローバルな世界に存在するべきで、互いの尊重なくして成り立たないと考えたいから。

 突飛なことを 書いたが、今日、塾生から担当する葬儀の宗教について質問があり、おかしな答弁をしてしまって反省をしている。神は一つであっても信仰する側の考え方で分 派する。勉強不足で<そんな宗派があったの!>と驚いたが、救いは「互いにネットで調べてみよう」という会話があったこと。そして、確認したらいっぱい ヒット。便利なネット社会の到来に改めて感謝を。
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