2007-06-19

昔の話ですが  NO 1893


 広大過ぎる「仏様」の観点は別として、身近なところで姿を目にする「お地蔵様」の表情はどれも優しいもの。観音様もそうだが、両者は「菩薩」と称される言葉でも共通している。

 30年ほど前の話だが、葬儀の祭壇が白木で画一化されていた中、とんでもない白木祭壇を別注で創作して欲しいと依頼したことがあった。

それからしばらくすると仏師が来社、私がどんなことを望んでいるか質問を受け、お地蔵様や観音様の優しさに包まれる世界をと熱い思いを伝えた。

 数ヵ月後、やっとデザインの基本となる青写真が届いた。確かに思いが「かたち」として完成しているが、どうも表情に不満があった。

 燭台も仏様、写真台も遺影を両側から仏様が支えるように抱かれる。盛り物も仏様の手に載せられるようなデザインだが、仏教の中で極めて限られた宗派でしか活用不可能で、高額な費用を掛けてこんな祭壇を創作するなんてだれも発想するものではなかった。

 何度か書き直しがあって理想像に近付きつつ感じた頃、仏師と近所の鮨屋さんで食事を共にして語ったのが「慈悲」という言葉。

「慈」とは「いつくしみ」であり「愛しみ」とも書き、相手を楽しくさせることで、「悲」とは相手から苦しみや抜き去ること。私の葬儀に対する理念の一つである「不幸の中で不幸でないようなひとときのプレゼント」につながる想いである。

 やがて、その祭壇が完成した。仏師も製作会社もその出来栄えに大満足、「こんな仕事をさせて貰って有り難いことです」と言われることになった。

 さて、そこから私はとんでもないことを開始した。絶対に抵抗感が生じる宗派のお寺様に、ある葬儀で実験的に使用させてくださるようお願いしたのである。

「社長らしい発想じゃな。まあ広い心で仏教というところから考えよう」とお許しをいただき、デザイン・コンセプトを説明申し上げ「ご批評を」と願って、参列者がどのように感じられるかということにも興味を抱いて通夜を迎えた。

 完成している祭壇を目にされた遺族や参列者から感嘆のお声、予想以上に歓迎されそうな雰囲気の中、少し早めに式場に到着されたお寺様、ご本尊に合掌された後、遺族の皆さんにご挨拶、すぐに控え室に入られた。

  スタッフがお茶を運んだタイミングに合わせて控え室へ。合掌の姿で「如何ですか?」と伺ったら「まあ、よくぞあんな祭壇を創ったものだ。私の立場で『いけ ない』とは言えないイメージを感じる。というこことはだ、一般の人達からすれば歓迎となるだろう」とのお言葉を頂戴した。

 それは、参列された方々から高い評価を受けることになった。そんなところから次々にデザインを発想して特注を進め、やがて弊社にしかない特別祭壇として自然に広がっていった。

  今、そんな白木祭壇を飾ることは一切なくなった。社会ニーズが「花」に流れると共に、何度も使用できるという「白木祭壇」に対する抵抗感が強くなってきた ことに尽きるだろうが、その流れを逸早く把握できたのは一般の方々向けの講演から。質疑応答で「白木祭壇が嫌い」と6割の人が挙手されたのが10年以上も 前だった。

 それから花祭壇を中心に和風、洋風と創造してきた歴史があるが、現在、弊社では100パーセントが花祭壇になっている。
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