2007-08-11
「おやすみなさい」を前に NO 1941
銭湯の最終客として温まってきた。入った時点で浴室に2人、脱衣場に3人が居た。3人の中のお1人は常連客で、弊社の式場に何度か参列されたこともあり、いつも声を掛けてくださり、今日も「遅くまで大変だな」とご心配をいただいた。
足のご不自由な方で年齢は80歳を越えておられると拝察するが、終戦間近という時期に被弾されたという昔話を別のオジサンから伺い、考えてみれば、私が生 かされてきた60年間を大変なお身体で過ごされてきたことになり、湯船の中で黙想しながら「ご苦労様」「大変でしたね」と手を合わせてきた。
「人 に歴史あり」というフレーズがあるが、戦争という辛くて厳しい体験を秘めながら生き抜かれて来られた人がいっぱいおられる。戦後生まれの私達にとって、そ のことを絶対に忘れてはならず「二度と戦争を!」と祈念するが、最近の命を軽んじる殺伐とした社会情勢に恐ろしさを感じている。
銭湯と戦争の話題が出たところで脱線するが、水泳が苦手だった少年時代、正直に打ち明けると泳げるようになったのは銭湯での練習から。それは、小学校4年生の時だった。
現在の南生野温泉の前身は、100メートルほど東へ離れた生野工業高校のすぐ近くにあり、爆弾が落ちた歴史から「爆弾湯」として有名だった。
そんな歴史を知る人達は、今や70歳を越えておられるだろうが、地域の集まりで時折耳にする地元伝承の話題となっている。
疎開道路を挟んで「生野西」「生野東」と地名が分かれているが、昔はどちらも「南生野町」で、南生野温泉という名称になっているのだろう。
ついでに触れるが、上述の大阪市立生野工業高校は、随分昔に「時計科」があって有名で、確か歯車みたいな校章だった筈ように思う。
校章が出てきたところでもうひとつ。「サンサンてるよ」の過日のブログに「ヘルメス」について触れられていたが、商業高校の校章にヘルメスをデザインしていたところも少なくなく、それは各地にあったように記憶している。
さて、メールがいっぱい入っている。知人や友人からもあるが、迷惑メールもある。また、商品販売の紹介というビジネスのプレゼンもあれば、「是非、私を入社させてください」という積極的な売り込みアピールもある。どうやら同業他社に勤務されている人のようだ。
それぞれに返信するのは大変だが、真剣な姿勢で訴えられる内容を感じれば返信するのも世のマナーのひとつ。人生の中でそんな時間を費やすのも素晴らしいことだと思っているが、お陰で睡眠時間が短くなることが問題だ。
さすがに「恋文的」なものが来ないので寂しいが、「愛語」というべきメールを頂戴することは嬉しいこと。と書いたら誤解されたら困るので説明するが、「愛 語」とは元々仏教に関する言葉で、最もつながりがあると言えば禅宗の道元禅師となるだろう。ご興味があれば、どうぞお調べを。きっと「そうだったの!?」 という言葉にも出会われるでしょう。