2007-11-29

手を合わせるだけしか  NO 2048 


 香川県での3名の被害者、こんなことを誰も予想もしなかった葬送の儀式が執り行われるだろうが、導師を務めてくださる方の宗教者とされてのパワーを心から願い上げている。

 参列される方それぞれの悲しみの心、そしてテレビのニュースで流れるであろう遺影を目にされる多くの方々が、涙を流しながら心の中で手を合わされる光景が思い浮かんでくる。

 ご当家の宗教は分からないが、四国香川といえば「お大師さん」に何よりゆかり深いところ。西国三十三観音の巡礼や四国八十八ヶ所を巡られるお遍路さん達にも、不幸な被害者のことを心にしていただくだけでも「お供養」につながると考えたい。

  巡礼という言葉が登場したところで昔に教えられたユニークな記憶法のことを思い出した。ある講義を受講していた際のことだが、巡礼の「行」とは「歩むこ と」「念ずること」「唱えること」で、それぞれの頭の漢字を並べて「歩念唱」というのを「これは、叱られる失礼な覚え方だが『法然上人』と思い出すよう に」と言われたことだ。

 それから、ずっと「歩」「念」「唱」のことを忘れることはなく、頭の悪い私のために「方便」として教えていただいたように思っている。

  書きたくないことを敢えて書くが、3名の遺体が遺棄されていた場所からの中継で、リポーターと解説者のやりとりの中に「3人は、西を頭にして並んでいまし た」「それは、西方浄土ということからかもしれませんし、単なる地形からそうなったのかもしれませんが」というのがあった。

 我が国の葬送の慣習にあって「北枕」は常識のように認知されているが、お釈迦様の涅槃のお姿である「頭北面西右脇臥」のことから「北が無理なら西でも」という考えてみれば横着な発想が定着している事実も否めないようだ。

 地球の磁場からすると北枕が安眠に最高という説もあるし、涅槃の場で北に向かわれたのは故郷が北に存在していたからという説も存在している。

西方浄土思想では「南無阿弥陀仏」という掛け軸を掲げた方を「西」と考え、北枕に出来ない家の間取り環境の場合、向かって右側に頭がくるように安置する発想もあるが、そんな「以信転方」という方便を活用されるケースは稀のようだ。

 土着した習俗は宗教よりも強いということも少なくないが、それらは生活の中に宗教が生まれたという歴史を顕著に物語っているように思える。

  葬儀は「人を集め、人を走らせる」という言葉もあり、全国から親戚の人達が「その地」の風習を持って集まってこられ、そこで誰もが評論家みたいに勝手な意 見を述べられてややこしくなることも多いのだが、時には専門家であるお寺さんのご意見さえ遮られることもあって驚いてしまう。

 そんな ケースでは悲しみの遺族を二重に悲しませることになってしまう。習俗に振り回されると遺族だけではなく故人ご自身も悲しまれるだろう。慣習での揉め事をさ れる前にお考えいただきたいことは、「慣習」とは「人がつくった」ことであること。ちょっと離れて客観的に「観衆」となられることもよいのでは?
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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