2008-04-27

昔の思い出から  NO 2187


 長野県で行われたオリンピック聖火リレーが話題になっていた。中国という国に秘められた「危うさ」と共に、我が国の「事なかれ主義」体制が露見したように感じた人が多かっただろう。

 オリンピックという言葉に忘れられない思い出がある。高校2年生のことだったが、試合に参加して欠席の日にクラスの連中が私に内緒で弁論大会参加者として推薦してしまったのである。

 次の日、担任の先生からも「お前なら出来る。頑張れ」の一言。仕方なくその日から1ヵ月後に開催される大会に向けテーマを決めることから始めた。

 やがて決定したのがオリンピックの発祥者であるクーベルタンの崇高な思想で、学校内の図書館でオリンピックに関する歴史などの文献調べに時間を費やすことになった。

 学級委員や生徒会の役員をしていたことから人前で喋ることに抵抗はなかったが、何より重要なのは訴える「中身」の問題。かなり完成度が高いと思って担任の先生に見せたら、「浅過ぎる。もっと深く!」と返された。

 入学してクラス分けが決まり、初めて教室に入ってきた先生が猛烈に「怖~い」先生で、突然に私の名前を呼んで「お前、一学期間、学級委員長を務め、新聞部に入れ」と指名を受けた。

  2年の担任は英語の先生だったが、新聞部所属は続いており、新聞部顧問である1年生時の担任にも弁論大会用の原稿をお読みいただいたのが、「これ、中身は そそのままでいいから、5分割ぐらいして順番を組み替え、冒頭と結論の訴えを強調すべきだ」とアドバイスを受け、さすがに国語の先生らしいと分からないな がらにも変更する気になったものだ。

 参加した弁士ににはユニークな連中がいた。遠い外国から帰化していた人物や、現在のお笑いの「吉本」の芸人さんの弟子になっていた生徒もおり、聞く側の「受け」からすると私のパワーは弱く、残念にもメダル獲得の次点となった思い出として残っている。

 そんな頃からマイクを手にしていた歴史のあるが、まさか還暦を迎えても続いているとは不思議な感じが。それが私の人生に於ける「使命」と「指名」ということになるのだろう。

  オリンピックが国家間の権力争いに巻き込まれるとは残念なこと。きっとクーベルタンの嘆いているだろうと想像するが、神聖な採火式からスタートする聖火リ レーが、時間と距離を費やす度に「神聖さ」が薄らいでいくような気がして残念でならず、こんなことを予想していた人も世界中に多かった筈。果たして韓国で はどうなるのだろうかと心配も。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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