2008-05-07

新聞記事から  NO 2196


 子供の日、毎日新聞朝刊一面の「自殺実態1万寺調査」という見出しの文字に目が留まった。「僧侶の役割探る」「お西さん中旬から」という小見出しから記事を読んだが、宗教者とされての重要な責務の一環を進められるのだと期待をしたい。

 これで思い出したのが若かりし頃に出会ったご住職のこと。あるお婆ちゃんのご葬儀で瓜破斎場にご一緒し、式場に戻ってからお寺までお送りした車内で伺ったお話が印象に残っている。

 年齢は、私より10歳ほど上だったが、お寺の後継者でありながら少し前までサラリーマンだったと教えてくださった。

「銀行に勤め、次長だったのですがね」と仰られたのだが、次長と言えば支店長に次ぐ2番目の役職、それを思い切って辞されることになった経緯に「自殺」という問題が絡んでいたのである。

「住職は、親父がやっており、高齢になっても私は仕事を続け、日曜日に法事の手伝いをする程度だったのですが、ある日曜日、親父が導師を務める葬儀の役僧として檀家さんの自宅へ行ったのです」

 その葬儀、若い娘さんが自殺をされたというご不幸で、悲しみにくれられる家族の方々の姿に衝撃を受けられ、読経をしながら涙が出てきた仕方がなかったそうだ。

「私が檀家さんを回り、その娘さんの辛い思いを相談されるような立場だったら救えたのかもと思うと自分に腹が立ち、その後悔たるや、言葉で表現出来ないほどのもので、次の日に銀行を辞職する決断をしたのです」

 宗教者とは、人を幸せにする立場であろうし、どうにもならない不幸な人が存在すれば「少しでも不幸でないように」と願う行動をされる責務があるとも言えるだろう。

 過去に、自殺をされてしまった不幸な方々の葬儀を担当したことも少なくないが、その度に失礼なことだが導師を務められるお寺様の後ろ姿を見ながら「何とかならなかったのですか?」と無言の呼び掛けをしてきた歴史が秘められている。

 十数年前、同業者の全国的な研修会の中で、ある地方の葬儀社の司会者さんが次のように嘆かれたことも鮮明に記憶している。

「お通夜のお説教で『自殺は最悪、極楽には行けない』と仰り、背筋が凍りつき、ご遺族や事情を知られる弔問者の皆さんの表情が変わったのをはっきりと感じましたが、ご本人は、全く気付かれることもなく続けられたのです」

 お分かりだろうが、そのご不幸は「自殺」であり、その事実をご存じなかったお寺さんもお気の毒な部分もあるが、重要な情報提供として伝えなかった葬儀社と司会者にも責任があるとも言えるだろう。

 お通夜の始まる前のご導師との打ち合わせ、そこで「故人」情報を求められるお寺様もおられるが、それは、宗教者として「悲嘆」を理解される中で大切なことであろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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