2008-06-04

僭越な考えですが  NO 2216


 銭湯でご高齢の常連さんと「お葬式」談議、数日前に親戚の葬儀で遠方まで行かれたそうだが、司会が下手で残念だったとのご感想が。

  仰る「下手」とは一般論で言う技術的なことではなく「感情」が伝わらず「冷たい感じ」だったということ。意識して変な感情を表現するような司会は大嫌いだ が、人としての「情」が感じられない葬儀の司会は寂しいもの。言葉というもので「不幸の中で少しだけでも不幸でないひととき」を自然に感じていただける空 間創造が出来ればプロの域と言えるだろう。

「マニュアル的な司会だった」とご指摘されたことも重要なこと。日本全国の葬祭式場で「次の 方、ご案内」というようなベルトコンベア式の葬儀が行われているところも少なくないが、考えてみれば、そもそも一般的な葬儀は「1時間」ということ自体が おかしなこと。お柩を開けて「お別れ」する時間が5分もないという実態も悲しい現実。誰が決めたことか不明でも、人が決めたことなら人が変更させることは 可能な筈。それらは、宗教儀礼を含めて総合的に考えてみる時代とも言えるのではないだろうか。

 全国的に「絶対に遅れてはならない」というのが火葬場入場時間に共通する問題。そこに宗教の異なり、親戚の人数、会葬者の人数なんて発想は全く存在せず、火葬場までの所要時間を考慮し、葬儀を1時間で取り仕切る体制が強いられているのである。

お 通夜の控え室で、お寺様に「明日のご葬儀ですが、ご親戚も多く、会葬者もご多数なので開式の時間を10分早めて・・」とお願い申し上げたことも少なくない が、その背景には「お別れ」の時間を少しでも長くという考えがあったことも事実で、中には<どうして融通が?>という御仁に出会ったこともあり、それらは 故人やご遺族側からすると「出会い」ではなく「出遭い」になってしまうような気がした。

 弊社には、全国から多くの同業者や司会者の方達 が来社されるが、そんな際に「1時間で人生終焉の儀式を執り行うことに無理がある」と訴え、畳敷きの式場のように履物を脱ぐところでは、お別れを終えてか ら皆さんが履物を履く時間に5分も費やす現実を共に考え、1時間の儀式の中で「12分の1」という「5分間が余りにも勿体ない気がしてならないのでは?」 と、嘆きを伝える昨今でもある。

 もっとゆったりとした時間の流れの中で葬送の儀式を執り行うことが出来ないのだろうか。そんなコンセプトも大切なキーワード、そこに「やさしさ」と「あたたかみ」の原点があるような気がする。

 さて、今朝、出先で二つの携帯電話が同時にブルブル、一方に「掛けなおす」と伝えてもう一方に出た。それは、自宅からのもの。意外な人物のお名前を聞き、電話を掛けて欲しいとのことだった。

 用件は、5月28日付け「御寿司の富士好」の若旦那のブログ「NO 1476」に登場されたお方のこと。京都のタオ療法についてのお問い合わせであった。

 電話で詳しいことを伝えることも難しく、ご来社を願ったらお二人でお越しになり、私が体験したタオ指圧について説明、「行ってみます」ということでお帰りになったが、少しでも痛みが和らぎますようにと手を合わす。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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