2008-09-28
映画に想う NO 2278
失言で騒がしかった中山大臣の辞意表明をニュースで知ったが、今回の失言はちょっと理解出来ないレベルで、それこそ常識外れというもので誰もがびっくり。公的、私的なんて使い分けは大臣になった瞬間にするべきではなく、私的との発言に人格を疑った人も多かっただろう。
小泉元総理の引退表明もあったが、世襲後継に抵抗感を抱く人も少なくない筈。そこには美学とは程遠いドロドロ政治の世界が垣間見える。
今、映画の「おくりびと」が話題を呼んでいる。人生終焉の儀式に先立ち行われる「納棺」がキーワードになったストーリーだが、「これより納棺の儀を執り行 います」という言葉を発することの出来ない葬儀がいっぱいあることも知って欲しいもの。事件や事故の被害者の場合を考えていただければご理解願えるだろう が、千葉県の幼児が殺害された悲劇もそんなケースとなってしまう。
こんなケースで我々葬儀社が重視したいことは「悲しまれる環境と時 間」を大切に考えて差し上げること。「ご葬儀は2日後でも3日後でも一週間後でもいいですよ」という考え方。最もお悲しみの強いお母さんが「もう、お葬式 を」とご納得されるまで静かに過ごされることをお身内の方々に提案し、そんな選択が可能であることを皆さんにご理解いただくことであろう。
明日の御通夜、明後日の葬儀なんて誰もが発想することは「勝手な思い込み的」慣習であり、ご一緒に過ごされる時間が長いことが将来の悲嘆の和らげにつながることも知って欲しいものである。
「葬 儀は、ドサクサの中で悲しみを忘れる」という考え方もあるし、「会葬者という第三者の参列に『待たせている』ということでお柩の蓋を閉めたりご出棺が出来 る」という心理学的意見もあるが、それらは業者側の利便性が背景にあることは否めず、「ご自宅でごゆっくりと仮通夜をされて日程を延ばされたら」と申し上 げ、終わってからびっくりするほど喜ばれたことが何度もあったことも事実である。
そんなことを講演の中で申し上げたら、「一週間でも大 丈夫なの?」という質問があり「エンバーミングをされたら可能です」と応答したこともあったが、訃報でやって来られた遠方の親戚の方々が数日を過ごされる ところに問題が生じ、「一度戻って改めて通夜の日に」ということだけは仕方がないだろう。
人生に於ける衝撃の中で最も強いのは子供の 死、次に伴侶の死と分析されているが、ご逝去されてから終焉の儀式までの時間をご自由に選択されることは何より大切なことだし、一方で、大切な人が病気に なり医師から残酷な告知を受けた場合には、残された時間に何をするべきかを第一に考え、「おくりびと」「おくられびと」両者に後悔が生じないようにありた いものである。