2008-09-29
昨日に続いて NO 2279
昨号で書いた「納棺の儀」に関する続編だが、年間に3万人以上もあるという悲しい自殺者のことを考えてもご理解願えるだろうし、一方に暴力団の抗争で銃や 刃物で殺害された人物の存在もあり、そんなケースで「これより、ご納棺の儀」という環境空間が極めて困難ということになる。
映画の中で職業差別的な表現も出てくるが、それらは今でも続いている現実だが、我々の仕事に「プロの領域」という文化を形成するには資格制度が欠かせないだろう。
NHKの大河ドラマ「厚姫」をBSで久し振りに観ていたら、もう鹿児島湾での薩摩とイギリスの戦いにまで至っており、北大路欣也さん扮する「勝 海舟」も登場していた。
その「勝 海舟」の名言に「生業に貴賎はない。生き方に貴賎がある」というのがあるが、小さな船で太平洋を渡ってアメリカに行った体験のある人物らしい言葉だと感じ入るところである。
名言で思い出したのが6世紀後半頃に存在したと伝えられる「パドマサンバヴァ」という人物の言葉。彼は、チベット密教の元祖とも言われるインド人で、昔に読んだ本の中に確か次のような言葉を説かれていたと記憶している。
『前世を知りたいなら、今の自身の状態を見よ。来世を知りたいなら、今の自身の行為を見よ』
輪廻転生という観念に裏付けられた言葉であろうが、少なくとも来世の存在を信じてこの世での悪行に走らない考え方は大切で、殺伐とした事件が多発する最近の社会にこそ広まって欲しい言葉でもある。
そんな中、イスラム原理主義の過激派が中心となって世界中を震撼させている自爆テロとは理解し難いもので、「聖戦」や「殉死」で天国へとはあまりにも勝手な考え方であろう。
宗教と戦争は人を変えると何度も書いたが、そんな被害者の葬儀のことも考えたいもの。送るべき立場の家族全員が犠牲になり喪主を務める人が存在しないケースも少なくないだろうし、葬儀どころか遺体もないという非情な現実もあるのだ。
人としてこの世に生まれ、与えられた時間を過ごしてあの世に出立をするのが普通だが、遺体がないという死の迎え方、また事故や事件で傷ついた身体で死を迎えることだけは御免蒙りたいもの。少なくとも畳の上か病室で誰かに看取られて終焉の時を迎えたいではないか。