2008-10-24

明日のために  NO 2299


 昨号で「作務衣」について書いたが、この「独り言」の訪問者である遠方の知人から電話が。彼は週に2回は整骨院に通っているそうで、その時の着替えが面倒で困っていたとのこと。奥さんに頼んで早速購入、「着用したら肩が楽でリラックスできるよ」と喜んでいた。

 ジョギングされる方々にも増えつつあるようだが、ジーンズ生地で仕立てられたものもあり、中にセーターでも着込んだら寒い日でも大丈夫である。

  さて、我が大阪府内では世界遺産問題の話題が多く、その大半が陵墓と言われる古墳であり、堺市、藤井寺市などで申請の動きが広まっているようだが、そんな 特集ニュースの中でびっくりしたのが西名阪高速道路の高架の下に存在するある古墳、道路建設時に問題になり、クリアするために跨ぐ橋脚の間隔を長く設計し たというものだった。

 ある墳墓らしき森が私有地であり、その中央にアパートが建設されていたケースもあったが、大阪府下にはそんな場所がいっぱいあるということを改めて知った。

 我が生野区を東西に走る「勝山通り」にもそれらしきものがあり、弊社の葬儀式場である西館から自転車で5分程度の距離に存在している。

 生野区役所、生野警察署、生野消防署、生野郵便局のすぐ近くで、生野区のメインストリートの面する通称「御勝山」で、今ではコンクリートの柱で囲まれて入れなくなっているが、確か「三丁目の夕日」時代には中に入って遊んだ記憶もある。

 その道路を挟んだ真向かいに公園があるが、そこは、かつての大阪管区気象台の後地で、御勝山南公園と命名されている。

 因みに「御勝山」とは徳川家康の大阪城攻めの際の出来事から命名されたと言われ、生野区では誰もが知る名称ともなっている。

 小さな古墳で思い出すのが大阪市住吉区にある「帝塚山」で、私が通っていた住吉中学から少し北にある帝塚山学院との中間ぐらいに位置し、何度か「探検」に行ったことをはっきりと憶えている。

  それは、まさに「三丁目の夕日」の時代。帝塚山学院は上町線の帝塚山三丁目駅、私は次の帝塚山4丁目で降りたのだが、この周辺は大阪を代表する高級住宅街 で、それこそ「お屋敷」みたいな家が多く、通学の時間に社用車であろうアメ車が何台も並び、それを近くで見たいがために手前の駅で降りたことも懐かしい思 い出となっている。

 今日は、朝から女性司会者と式場で勉強会。一昨日の葬儀で気が付いたことや昨日の全日本葬祭業協同組合連合会の会合についての報告を受けた。

 平松大阪市長とも久し振りの会話を交わすことが出来たそうだが、その瞬間に市長としての表情が昔の時代にタイムスリップしたようだったと嬉しそうに語っていたのが印象的だった。

我々 2人の現実的な研修についても話し合い、秋バージョンのナレーションについての話題もあったが、今、彼女がアメリカから取り寄せようとしている本のことを 教えられてびっくり。それは、アメリカの悲嘆研究専門家が現した書物で、翻訳されたものを私が有しており、その中で「この部分を」と抜粋した部分に興味を 持ち、翻訳に何か違和感を抱いたそうで「原語のものを私なりに翻訳して勉強したいのです」と言っていた。

「そんなの可能なの?」という単純な言葉で質問をしてから<しまった!>と反省した私、彼女は英会話教室を主宰する外国語の専門家でもあったのである。

 自宅に戻ってから<失礼なことを言ってしまった!>と考えながら、ふと彼女のホームページを訪問、そこに「よみきかせ」をメインとする彼女の著書が注目されていることを知ることになった。

 読まれた方々数名のブログなどを訪問したが、それが非常に高い評価を受けており、彼女に教えてもらいながら、良書を広める行動をしようとも考えている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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