2008-11-22
ノスタルジー NO 2317
夜のテレビ番組で「続三丁目の夕日」を少しだけ観た。舞台となった鈴木オートの中での電話のシーン、黒いダイヤル式が懐かしかったが、それで思い出したの が当時に体験した電話の受話器に装着するパックみたいなもの。「衛生的です」と言った触れ込みで、電話局推薦みたいなオバサンの売り込みがあり、月に一度 の交換だったが、かなり高額料金だったように記憶している。
丸ハンドルになったミゼットMPも出てきたが、初代のミゼットはバーハンドルだった。
黒いトヨペット・クラウンも登場、観音開きのドアが特徴だったが、その少し前のクラウンとは異なっていた。初代のクラウンのフロントガラスの中央は柱で縦に仕切られていたからで、ガラス技術の進化で全面ガラスとなったようだ。
昭和30年代と言えば、私は小学校から中学校時代、高校入学が35年だったから青春時代に突入となるが、当時のクラウンのタクシー料金は中型となり80 円、小型のダットサンは70円だったが、20年代から30年代初めの頃には「くろがね」「ダイハツ」「マツダ」「みずしま」などのメーカーが製造していた オート三輪があり、それらの一部がタクシーになっており、親に連れられて何度か乗った記憶もある。
一方で、つい最近にパナソニックと社名を変えた松下電器だが、ナショナルショップの前には不二家のペコちゃんみたいな「ナショナルぼうや(坊や)」の人形が置かれていたのもはっきりと憶えている。
小学校4年生の頃、近所の電気屋さんにテレビが置かれ、プロレスや大相撲の中継を観るのに大人10円、小学生5円という料金設定が設けられ、カーテンで外から見えないようにされていた。
小学校5年生から越境通学となり、国道25号線の林寺新家町停留所から市バスで阿倍野橋(天王寺)まで乗車、近鉄百貨店前から路面電車である「南海上町 線」で住吉大社の手前まで通っていたが、当時の25号線には百済から恵美須町、大国町、桜川2丁目を経て福島西通りまで市電が走り、四天王寺西門交差点か ら西へ下った恵美須町から路面電車「南海阪堺線」で東粉浜まで行く経路を使ったことも何度かあった。
現在のJR大阪環状線の当時は天王寺から大阪駅を経由、桜島までであり、大人10円、子供5円というところから、10円だったバスを止め、寺田町駅まで歩いて天王寺まで乗り、「5円得!」なんてことをやっていたこともあった。
前述のように環状でなかった国鉄は、通称「省線」という呼称で、黒に近い茶色の車両だったし、大阪市バスも2割程度がボンネットタイプで、「日野」「民 生」「いすず」「日産UD」などのメーカーの車体それぞれが、独特のエンジン音を響かせながら黒煙をいっぱい撒き散らせて走っていた。