2009-01-14
続きそうな寒波 NO 2345
御通夜の始まる1時間ほど前、西館に立ち寄った。まだスタッフだけの式場に立派な体格の新人スタッフが立っている。後方で手を組んだ姿勢に「サービス業は 前で組みなさい」と指導。続いて「言」で「動」が大きく変化する実演を体験させたら、横にいた女性司会者が笑っていた。
私が担当のお客様に関する「故人情報」を用意してくれていた彼女に感謝、後を任せて本館の御通夜に向かう。今日も猛烈な冷え込み、商店街を通って東へ約1キロを歩く。
玄関に立っていた警備担当者に「お寺様はご到着?」と確認したら「まだです」とのこと。そこで先に音響と照明のチェックを済ませておいた。
担当責任者に細かいチェック、司会台に必ず置くことになっている物がないことに気付いて持って来させた。
それは、万が一のハプニングに備えての物。数日前に「病的だから『臆病』というのだろうか?」と女性司会者に問い掛けたら、「いつも最悪のことを想定されているからです」と慰められた。
「臆病は、文明人のみの持っている美徳である」と言ったのは芥川龍之介だが、「考え過ぎると人間は臆病になる」という言葉もあるので悩んでしまう。
明日、お二人の葬儀とお一人の御通夜に出ることになるが、日々に送られる方々の存在に接していると、いつの日か自身に訪れるその時を考えながら、「今日という日は残りの人生の最初の一日」という格言を思い浮かべてしまうのである。
新聞の記事がテレビで採り上げられていた。「千の風・・」の歌の流行によって墓石や墓地の売り上げがダウンしているとのこと。それに対して意見を求められ た方々のお考えも様々で、ある仏教宗派のご僧侶は「そもそも庶民に墓はなかった」とも仰り、別のご僧侶は「歌詞に託けて墓は不要と考えるのは横着で如何な ものか」と提起しておられた。
この問題は、最近に流行する「家族葬」という便利な言葉に共通するもので、その背景には様々な問題が秘められており、時には取り返しのつかない現実として、二重の悲しみに発展する危険性があることをご認識願いたいものである。
ここでそれらの詳細については触れないが、この問題について講演などでオープン化すると、皆さんが「考えてもみなかった」という表情で驚かれ、社会のこれまでの歴史背景に複雑な「成り立ち」があることに気付かれるのである。
我が大阪の明け方の最低気温は「0度」とのこと。北国のことを考えれば随分と恵まれていることになるが、大阪人はどうも寒さに弱そうで、その代表的なタイプが私。明日はコートを「厚め」の物に変更しようと思っている。