2009-05-10
母の日に寄せて NO 2416
母の日にこんなかたちで入院しているとはこの上ない親不孝、ましてや母が入院している状況の中で倒れたのだから始末が悪く、病院にいる母の見舞いさえ叶わない現実に申し訳なく、そっと病室で「ごめんなさい」と手を合わす。
2人の姉の存在があり、3番目に生まれたから「栄三郎」と命名されたようだが、親父の名から「栄」と「郎」が入っている。
そんな長男なのにこの状態では情けなく、一日も早い退院をとリハビリや自主トレに励んでいるが、今日も深い交流に結ばれる奥さんが娘さんを伴われて来てくださった。
娘さんと私の娘は同級生。彼女は、弊社の重要な役割を担ってくれている女性スタッフとも深いつながりがある。
「想像していたよりはるかに軽い症状で安心!」と喜んでくれた彼女、「母の日だから車で送ってくれたのです」と、横でお母さんがニコッとされた。
今日のリハビリはOTだけだった。担当くださった若い先生は静岡県のご出身。新幹線の新富士駅が最寄り駅だそうだが、私が「製紙会社があるから大変だろう?」と質問すると、幼い頃からアレルギー症状で参っていたと教えてくれた。
苫小牧も有名だが、四日市などの工業地帯にも深刻な問題が秘められているよう。大気中の化学物質による身体の異変は恐ろしく、中国からの風の流れにいよいよ危機感を抱いてしまうこの頃だ。
随分前の話だが、友人の2人の子供がひどい小児喘息で困っており、医師の診断結果に驚いた。何と「交差点近くで生活していたからだ」と言われたからで、ずっと水泳教室に通ってから症状が軽くなったという出来事だった。
当時は「排ガス規制」なんてなかった頃、交差点で発進する車の排気ガスに侵されたという被害だが、これがあちこちに多く発生していた事実もあり、我が2人の子供にも軽い症状があったと記憶している。
考えてみれば国鉄時代は蒸気機関車が主流だった。現在の大和路線が関西線と呼ばれていた小学生の頃、国道25号線の百済付近に踏切があり、蒸気機関車が 走っていた光景を今でもはっきりと憶えているし、高校時代、鹿児島から大阪まで急行「霧島」で帰った際、顔が煤で真っ黒になった思い出も懐かしいが、それ は新幹線が走り始める少し前のことだった。
急行「霧島」の鹿児島と大阪間の所要時間は約16時間だったと記憶しているが、しばらくして から大阪から熊本までディーゼル特急「かもめ」で行った時は10時間ぐらいだった筈。今では「のぞみ」から「リレーつばめ」に乗り継げば約4時間で行ける のだから格段の進歩。九州新幹線が八代から博多まで完成すれば更に短縮されるだろうが、少なくともその時代まで生きて確かめたいと思っている。
そうそう、今日は一流料理人である友人が作ってくれた私の好物が届いた。「普通食が食べられるようだから」と妻に託してくれたものだが、もち米を蒸したも のの上に、焼いた鯛の身を山ほど載せてくれた「飯蒸し」というものだが、添えられた「柴漬け」がどこでも入手出来ない絶品で、間食禁止を破って一口だけ味 わって手を合わせた。
明日から平常プログラムに入り、9時5分ST、14時10分OT、15時40分PTとなってなっているが、風邪やインフルエンザ菌に負けない体力を保持しようと頑張りたい。