2009-05-13
スタッフ達に感謝 NO 2419
STリハビリで発声をパソコンに録音してもらったが、昨日から比べると、それこそトーン・ダウン。もう一日早く録音するべきだったと後悔したが、終わりかけの頃には、まあまあの声が出ていた。
PTリハビリは初めての先生、187センチという長身、所謂「イケメン」と称されるタイプで女性患者の人気が高いそうだが、施術の方も中々のもので納得に至る説得術を感じた。
続いてはOTの時間だが、この数日、K先生の施術を受けると眠くなって仕方なく、ひどい時にはあっという間に1時間が過ぎてしまい、もう少しこのままでと訴えたいほどである。
それは「心地良さ」という原因があるからなのだろう。友人に購入を依頼した数冊の書物を彼に手渡した頃から指先の感触が違ってきており、私が「そこだよ!」という無言の訴えをしているのを「感知」しているようで、それが病状の「完治」につながれば何よりである。
OTのリハビリでは時折に字を書いたり図をなぞったりする訓練もあるが、転院時にひどかった文字も随分とましになったのでホッとしている。
ある時、行書的な文字を書いたら、彼が「習っておられたのですか?」とびっくり、それは、ひどい我流だったのだが、滅多に目にすることのない自流(字流)なのでかなり驚ろかれたようだった。
ワープロからパソコンの登場で文字を書くことが少なくなった最近だが、歴史書などに出てくる古文書などを目にすると文字の美しさに衝撃感さえ覚える。昔から汚い文字しか書けなかった私にとって、美しい文字には心から畏敬の念を抱くのである。
文字と言葉には人格が出るとも言われるが、職業上から言葉に神経を遣ってきたこれまでの歴史の背景には、そんな汚い文字という秘密もあったのである。
自分が三代目だったという家庭環境から「売り家と唐様で書く三代目」という言葉を知ったのは20代の頃だったが、我が国の文字の世界で「唐」のイメージが大きな影響を与えていたことを知ったのは受験勉強の10代のことだった。
何かの本で、流麗優美な背景には唐の流れがあり、それを見事に和風化したのが藤原佐理、藤原行成、小野道風の所謂「三蹟」であり、唐にあったパワーあふれる筆跡を見事に表現された嵯峨天皇、空海、橘逸勢の所謂「三筆」という世界の存在も知った。
オヤジギャグ的に考えれば「道風」は「唐風」につながるが、こんな愚かなことを書いている限り、私の文字は死ぬまで汚いままだろうが、頂戴するお手紙に達筆なものが多いのが困りもの。それに高レベルな文章内容に返信出来ない寂しさと悲しさもある。
この「独り言」を打っている最中、会社の女性司会者から電話が入った。今日は彼女の休日だった筈なのに、ご葬儀の担当を終えて自宅に戻り、それからお通夜 の式場で担当してくれていた。どちらも神経を遣うお客様だったみたいだが、今の私に出来ることは、ミスの発生がないことを祈って手を合わせるだけ。
明日のリハビリは9時5分ST、15時15分PT、16時20分OTとなっているが、その合間にシャワー・タイムを考えなければならない。