2010-03-05
昔、あの頃 NO 2625
夢の中で珍しく遠い昔の時代が。懐古というのだろうか、小学校4年生の頃。10円硬貨を手に駄菓子屋の中に入っていた。
時代を照らし合わせると昭和32年頃。タンクローやカバヤのキャラメルの人気が高く、何か忘れたが、景品として入っていた自動車写真のカード集めが流行 し、特に入手出来なかったのが中国の「紅旗」とソ連の「ジル」という車。何よりその大きさに驚いたのだが、スチュードベーカーなどのアメリカ車数枚と交換 するほどの価値観を生まれていた。
そんな夢から思い出したのがハリスガムに入っていたカード。20個ぐらいもある一箱を買っていた同級生もいた。
前にも書いたが、当時の公共交通機関の料金がびっくり。国鉄の寺田町から大阪駅まで大人10円、子供5円。市バスは大人20円、子供10円だった。
現在の大阪環状線を「省線」という言葉で呼ばれ、茶色の電車が走っていたが、阿倍野の近鉄百貨店の横から出ている軌道「上町線」で5年間通学した歴史があり、バスの定期があるのに天王寺駅まで国鉄を利用したことも少なくなかった。
上町線には大正時代に製造された電車も走っていた。新しい電車でも昭和初期の年代が記されてあったが、そんな中、2年ほど経ってから空気バネの新型車両が 登場した。それらは現在も走っているかは不明だが、確か500番台のナンバーで、501から505の5両があったと記憶している。
古い車両は網棚の上に通された紐が活用されており、発車の際に車掌さんが2回引っ張って「チンチン」と鳴らせて運転手さんに知らせ、それがチンチン電車の謂れだと知ったのは随分後のことだった。
車掌さんのアナウンスも様々。放送設備なんて存在しない中、地声で次の駅名を伝えるのだが、やさしい言葉遣いの車掌さんが一人だけいたので印象に残ってい る。阿倍野斎場前から阿倍野警察の前を通って松虫駅に向かうが、直前にS字カーブがあり、そこで彼は「間もなくカーブです。揺れますからご注意ください」 とアナウンスをし、子供ながらに親切な人だと感じていた。
その松虫駅の手前右側にマネキン人形を製作する会社があった筈だし、次の東天下茶屋駅で女子高生が下車して一気に空くことになったことも覚えている。
我々団塊世代にとって「三丁目の夕日」時代は特別に郷愁を感じるもの。それぞれが定年退職の年齢を迎えたが、時折に会う連中に共通するのは食後の薬の服用で、互いの健康を祷り合い、孫の話題で盛り上がる。
関東に在住する初孫も冒頭の学年になっている。正月疎を過ぎてからの電話で言ったのは「学校は楽しいか?」「いじめられていないか?」ということ。「いじ められたらお爺ちゃんに電話を。すぐに行ってあげるから」と伝えておいたが、いじめから中学生が残念にも自殺してしまった一昨日のニュースに悲しい思い。 学校教育のありかたと共に、家庭教育の問題も考えなければならないこの頃。子供の虐待なんてニュースにも冷えた社会を感じてしまう。