2011-01-05
念頭に NO 2653
新しい年を迎えた。多くの年賀状をいただき手を合わす。皆様の今年に素晴らしい出来事がと祈念申し上げる。
年末から年始に多くのお葬式があった。ご遺族やご親戚、そして会葬者の皆さんも大変だったでしょうが、スタッフ達も大変。ある新人社員が「年末と年始は、こんなに忙しいのですか?」と驚いていた。
12月のテレビ番組でびっくりするような発言を耳にした。関西のみの番組だが、やしきたかじん氏の「ここまで言って委員会」だったと思うが、毒舌で知られ る彼が「年末は亡くなる人が多い。それは、医者が正月休みを取るために年内に・・・」なんて言葉を濁していたが、視聴者の皆さんがさぞかし驚愕されたもの と拝察する。
さて、過去に書いた4冊の愚書の存在からだろうか、多くの質問のお手紙を頂戴した歴があるが、年の初めに、そんな中の一部を疲労することにしよう。
葬儀に外すことが出来ない導師の「お布施」問題なのだが、お寺と式場間の往復に関して、親戚の方が車で送迎されるケースでの出来事だった。
「御 車料は割愛してもよろしいですか?」と聞かれたのだが、「おつくり」の「わさび」ではないですが、それは所謂「つきもの」のひとつとして大切なことであ り、決して式場往復だけではなく、ご当家の葬儀の発生で、他のお檀家回りにご迷惑が生じるので、という意味合いもあるのです。と答えたら「納得できまし た」と仰ったので安堵したのであった。
ついでに書いておくが「御膳料」もそうであろう。過去に触れたことがあるが、連綿として継承され る日本の文化の中に「神仏と共食」という考え方があり、神式の「直会(なおらい)」と仏式の「御齋(おとき)」が存在し、大都会では上述の現実から導師の ご臨席が難しく、そんな背景で「御膳料」を包む訳である。
最近の傾向には意味を理解されないことが増え、そんな問題に苦慮する我々葬祭 業界だが、何より危惧を抱いているのは宗教観の希薄。大都市圏では、大半の葬儀が導師「お一人だけ」というケースになってしまったし、「お寺を変えたい」 という現実が顕著になってきていることを宗教界の方々にご理解願いたいものである。
「檀家であることを辞めたい」という相談や問い合わせも増えている。「檀家であるが信者じゃない」とは、ある新聞の見出しにあった言葉だが、「寺と家」の絆が「住職と当主」と変化したような気がしてならないこの頃だ。
多くの本物の宗教者とご仏縁に結ばれる私、それは何より私の人生にとって財産である、と言えようが、檀家に敬遠される宗教者には、それぞれ共通点があることも事実で、高額な「お布施」を自ら要求される方もおられるので難儀である。
結びに予見をしたためておく。近い将来、必ずや中国の経済が崩壊する。我が国の大手企業が工場進出なんてするべきでない。日本は、今このベストワン、オンリーワンの道を歩むことに気付くべきだろうし、我が国の「水」と「米」の素晴らしさを再認識したいものだ。