2011-06-13
危機管理 NO2663
妻を伴って講演を受講してきた。最近に多い講演テーマの一つだが、勧善懲悪的内容なので害はなく、宇宙観や死後の世界について興味深く拝聴してきた。
失礼なことを申し上げるが、特に危機感を煽られたのは強毒性インフルエンザ蔓延の恐れで、我が国が想定する死亡者数が20万人に対して、アメリカが日本国内で600万人という30倍以上も想定していることだった。
国民にパニックを引き起こさないように、との事情が秘められているようだが、それらは福島原発事故による放射能数値の改竄につながるみたいで恐ろしく、危機を隠蔽する政治家や大企業の姿勢に寂しい現実を感じている。
インフルエンザが猛威を振るうことになれば、ライフラインの停止も考えられ、スーパーの閉鎖や品切れという現実に右往左往させられる危険性も高く、少なくとも三ヵ月分の食料と燃料を備蓄するよう提案されたことが印象に残っている。
さて、私が講師を担当する一般向け講演では、冒頭に「今日、ここにおられる方々は幸運な方々です」と発言してきたが、皆さんは、「ええ!、そんなに内容のある話を!」と勘違いや誤解を生じてしまわれるようだ。
私の伝えたいことは、ここに存在されるということは、これまでに不幸に遭遇されなかったという事実で、旅行や仕事での航空機事故、列車事故、交通事故の被害者にならなったということである。
喫茶店でコーヒーを飲んでいるところへ自動車が突っ込んで被害に遭われた気の毒な人もいるし、過日のように特急列車のトンネル内火災に巻き込まれて九死に一生を得た人もあるのが現実だ。
あの特急「スーパーおおぞら」の火災など、もし私が乗車していたら走ることが出来ないことから助からなかっただろうし、何度も同型車である「スーパー北斗」を利用したことがあるので他人事とは思えない現実味を感じる出来事だった。
天災や人災に巻き込まれて被害者となる危険性は高く、その日を無事に終えることや新しい日の朝を迎えることが出来る喜びに感謝をするのが人間的責務のよう で、文明だけを求めて核や原発を開発してしまった人間社会は、まさにパンドラの箱を開けてしまったような感を覚えるこの頃だ。
ドイツとスイスが原発からの脱却を決定し、イタリアも国民投票に至っている。また、昨日は全国でデモが行われた我が国だが、子供たちの将来に残す自然こそが何よりの財産ではないだろうか。
今月初旬、ご仏縁から静岡県内に行ってきたが、浜岡原発の近くまで行った際「ずっと停止したままで」と願う人達の多かった事実に驚きを新たにしてきた私だった。