2011-08-23
懐かしい思い出パート2 NO 2676
テレビで偶々「へら鮒」の番組を観た。懐かしいと思うと同時に寂しさを感じた。若かりし頃、へら鮒釣りを趣味の一つとして入れ込んだ時代があったし、60歳を過ぎたら全国の有名なダムに挑戦したいという夢があったからだ。
こんな身体になってしまったら無理なこと。三重県の七色ダム、岡山県の湯原ダム、九州の椎葉ダムや一房ダムへの釣行は、正に夢物語と化してしまった感がある。
随分と前の話だが、近江十四郎さんと松方弘樹さん親子がよく行かれていた愛媛県肱川にある鹿野川ダムに行ったことがある。そこはNHKドラマ「おはなは ん」で有名になった場所。その地でへら鮒界では誰もが知る「堀さん」の船宿に泊まり、置かれていた釣果ノートを開いてびっくり。前日に松方弘樹さんが来ら れており、40センチ以上を何枚も釣ったということが書かれてあったからだ。
その夜、興奮して一睡も出来ない状態で本番当日を迎えた。同じポイントに座ったのに釣果はゼロ。衝撃を受け、今治からオレンジフェリーで大阪南港へ寂しく帰ってきた思い出が懐かしい。
その時に購入した遊漁札が今でも道具箱に付けてあるが、その桐製の道具箱には特別な思い出がある。それは、特別に製作して貰ったもの。「完成しました」と の電話から3日後に行ってみると、「申し訳ございません。さっき、松方弘樹さんが『最高、気に入った』とお持ち帰りに」なんて言葉があったから。
平身低頭されるご主人に何も返す言葉はなかったが、松方さんが化粧道具箱にされると仰ったそうで、それが救いとなり、不思議と怒りを覚えなかったものである。
へら鮒を通じて多くの方々との交流があった。その方々の中で私が葬儀を担当した方も少なくないし、「形見分け」として値打ち物の竹竿を頂戴したこともあり、ただ恐縮で今でも大切にしているものも多くある。
私のへら鮒釣りはダムなどの自然な環境が中心。近くの商店街にあった釣具店の会員となり、メンバーの皆さんとは「釣り池」に行くこともあったが、時間がな い時は、西名阪高速道路の香芝サービスエリアの下にある分川池がホーム池。早朝に行って昼前に戻って午後にマイクを握るなんてことも少なくなかった。
自宅から片道25分の行程、それで自然の雰囲気の中で釣りが出来る。酷寒の冬に独りだけということも体験したが、入れ食い状態よりも、そんな釣れない釣りが好きだった。
へら鮒釣りは「短気な人が」なんて言われているが、私はそうは思わない。短気と長気の両方を持ち合わせている人がと信じてきたし、現に周囲にそういう人達が多かったことが確かだから。
へら鮒を採り上げた雑誌に面白い記述があった。上述の湯原ダムで、あるご夫婦がボートでへら鮒を釣っていたら、初めて釣りをしたという奥さんの方に50センチものへら鮒が釣れたそう。
過去に私が釣り上げた最高は47センチ。因みに分川池には57センチのへら鮒の写真が事務所に貼ってあったことを鮮明に憶えている。
へら鮒は目が可愛いのが印象的。「戻り」のない「釣り針」を使用し、釣れたらリリースするのがマナー。「また来てね」なんて言葉で放すのがへら鮒釣りの真骨頂。
もう、15尺以上の竿を振れないかもしれないと考えると寂しくなる。「いつでも乗せて行ってやるぞ」と言葉を掛けてくれる友人もいるが、車に乗せて貰うのが困難なので残念なこと。やっと電車での移動が出来るようになったこの頃である。