2011-09-24
偉大な人達 NO 2703
リハビリはずっと続けること。手の指先から足の指先まで、動くところを動かすこと。それを凝縮すると歩くことが最適。足腰が弱ると内臓が弱って悪循環とな る。そんなことを教えて貰ったが、正にその通りだと思うし、今は歩くことにより強い思いを抱き、足のの親指を意識しながら歩くと本当に疲れの負荷が倍増す る経験をしたので、是非、皆様にご体感願いたいと思っている。
夜、テレビの番組で南九州の旅を特集していたものがあり、指宿や「いぶた ま」も採り上げられていたが、そこで前号で書いた最南端の駅が「大山駅」ではなく「西大山駅」だったことを知り、利用した特急「いぶすきのたまてばこ」が 「指宿のたまて箱」だった誤りにも気付いたのでお詫びして訂正を。
その番組の中で紹介されていたのが知覧の特攻隊資料館だが、初めて行ったのは30年ほど前。そこで展示されていた特攻隊員達の手紙には自然に涙が出てしまい、それは、一緒に行った人達全員も同じだった。
いよいよ特攻へ、という覚悟をしたためた多くの手紙。その文章の内容の素晴らしさだけではなく、達筆な文字にはただただ手を合わすだけだったことを鮮明に憶えている。
これを書いたのが二十歳前後の若者という驚きもあったが、「母上様」という文字が今でも印象に残っているし、ワープロやパソコンの時代にあって、若い人達に一度は訪れて欲しいと願う場所でもある。
戦争と言う悲劇に翻弄され、尊い命を犠牲にして逝った若者達。今の社会がその人達を礎に成り立っていることを絶対に忘れてはならず、愚かな戦争への行動だけは、どんなことがあっても避けなければならないものである。
指宿での夜、友人夫婦と語り合った中に「金子みすず」さんのことがあり、互いが山口県の仙崎にある彼女の記念館に行っていたことを知った。
薄幸と言うべき彼女の人生だが、残された数々の詩が多くの人達の感動を呼び、ずっと受け継がれて現在に至るが、私が始めて彼女の詩に触れたのはダイヤモン ド社の月刊誌「プレジデント」で、それはご仏縁に結ばれたあるお寺の住職さんからのプレゼント。それも1年間も恵贈くださったのだから恐縮。それからずっ と購読することになった歴史がある。
そんなご仏縁から、もう30年以上の時が経つが、仏教関係の月刊誌「大法輪」と共に、私の愛読書として大きな影響を与えてくれた書籍である。
人は、出会いによって大きく人生が変わるもの。彼女も別の男性と結婚していたら異なる人生を歩んだとも想像するが、それで果たしてあの作品が生まれたかは 分からず、人の世の不思議な歩みに対して「運命」と言う簡単な言葉で解決不可能な複雑な背景が秘められているように感じてしまう。
天才的な感性というものは、誰も超越出来ないオリジナリティ性があるものだが、彼女と併せて惜しまれるのが「滝廉太郎」さんで、若くして亡くなられた彼の作品に畏敬の念を抱いている私でもある。
「荒城の月」「花」「箱根八里」なんて曲は、彼ならではのもの。いつまでも日本の名曲として語り継がれるだろうが、彼が私の年代まで生きておられたら、果たしてどんな曲を書かれただろうと思うと残念でならない。
余談になるが、「荒城の月」は、その後、ベルギーで賛美歌になったそうだし、キャスターとして著名な存在だった「筑紫哲也」さんが「滝廉太郎」さんの妹さんの孫だったと知ったのは最近だった。
「金子みすず」さんと「滝廉太郎」さんへの思いを託しながら、今日の結びはご仏縁に結ばれる塾生のページにあった素晴らしい言葉を。
「坂村真民」さんの言葉で『天才には そう誰にもなれないが 本物には努力次第でなれる』というもの。彼女のページはグーグル、ヤフーで「ぴぴ 司会」で検索すればトップに登場しますので、毎日更新中の「ぴぴの日記」へどうぞ。