2011-12-11

司会のテクニックから  NO 2779


 昨号で書いた大阪の四天王寺さんのことだが、偶然にも今日ご出棺のお客様に「和宗」のお方がおられてびっくり。

 四天王寺は私の散歩コースの一つ。過去に大阪府仏教会、大阪市仏教会主催で、読売新聞と読売テレビ後援の太平洋戦争全物故者追悼式のプロデュースと司会を担当したこともあり、境内を歩くと本坊での出来事を懐かしく思い出す。

 仏教宗派全てというように、楽人、舞楽などを含めて約300名のお寺様達のご読経の重厚なる雰囲気は、体感しなくては理解出来ないものだろうが、今でも強烈な印象として焼き付いている。

 宗派の異なる方々がどんな「お経」を唱えられるかという大変な問題があったが、皆さんがご入場されてから「三帰依」のご唱和と、私が持っていた各ご本山などの鐘の音を流したことが好評だった。

当日の各局の夕方のニュースにも流れたが、終わってからの疲れはかつて体験したことがないほど。次の日に肩が張って整骨院に行ったのだから忘れられない。

 もう二人、腰痛に苛まれて休養した人物がいた。それは、ご本堂の入り口で入場されるお寺様達の草履を担当した女性スタッフ達。ずっと屈んで所作していたのだから大変だったと同情した。

さて、昨号に書いたキャスター達のミス発言だが、有名な話題として語り継がれているのが、ある有名な女性アナウンサーのミス。「旧中仙道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んで放送してしまったのである。

そ んな話はさて置いて、本題に戻すが、葬儀の司会の中で「思慕感」に訴えるというバージョンがある。故人がお好きだった花などに出会った際、故人のことを思 い出していただければなんてコメントを入れるケースだが、因みに昨夜のお通夜のことを組み入れるなら、昨夜は月食でございました。お月様をご覧になられる 時、故人のことを思い出していただければとなるだろう。

 ある日突然に大切な人を喪うと「家族」が「遺族」と呼ばれることになってしまう が、そこで陥る悲嘆の心情には複雑で様々なものがあり、怒り、孤独感、絶望感、自責感、判断力低下、猜疑心などが生じると言われ、そんな中に不思議なこと に「思慕感」も分析研究されており、それが重要なキーワードになることも知って欲しいもの。

悲嘆が究極の段階まで進むと「幻影」や「幻覚」さえも生じると言われるのだから想像以上の心情。そこで、葬儀を担当した我々葬儀社も「思慕感」の対象となり、「私が悲しみの涙を流していたことを、司会者であるあなたは見ていたでしょう?」と思われることである。

 そんな「思慕感」は悲しみを共有する存在の対象として、所謂「慰め」につながる重要なポジションとしての理解も必要で、葬儀を終えてからの「受容」の期間にあって不可欠な存在として注視されてくる。

 多くの司会者達を指導した内容に、「問い掛けバージョン」というテクニックがあった。それは、読んで字の如く「ではないでしょうか?」「いつのことだったでしょうか?」などと呼び掛ける言葉である。

これをさせたら弊社の女性司会者は抜群。研修に来られた司会者の皆さんが驚嘆されるほど。そんなレベルなので指導を受けなさいとアドバイスしている訳だが、彼女は「よみきかせ」に関する著書もあるぐらいだから特に「かぎカッコ」の世界は別格だ。

 私の現役時代、彼女と二人で司会を担当した葬儀が何度かあったが、終了後、ご親戚の方から「あなた達は、何者ですか? 普通の司会者じゃないね?」と言われたことも何度かあった。
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