2011-12-30

行く年 逝く年  NO 2795


 午前中、本館で行われていた葬儀に参列。ご丁寧にも我々夫婦の「御斎」までご準備くださったので恐縮。故人が歴史に残る有名な政治家のご親戚であることを知った。

 奥様が喪服に着替えて白いリボンを付けておられる。それが何やら無性に悲しさを物語っているように見え、どうぞお見守りくださいますようにと、ご霊柩車に手を合わせて見送ってきた。

 朝、今度は私の友人のお義母さんの訃報が入り、特別な対応をするようにスタッフに頼んでおいた。

 地域の女性役員としての重職を永年に亘って勤められた方だが、友人の結婚式の司会を担当したこともあって随分と昔から縁に結ばれ、20数年前にご伴侶の葬儀を担当した歴史もあった。

 通夜の式場で久し振りに会った友人は様々な病気で痩せていたが、トトロ体型になった私の姿にびっくり。互いにもう少し長生きをしようという再会の会話となった。

 喪主を務められたのは息子さんだが、医師としての立場にあっても休診の時期なので患者さん達に影響を及ぼすこともなく、しっかりとお母様を送られることになるだろう。

 そんな中、ご親戚の方々が式場を間違って本館の方へ行かれた出来事が発生し、スタッフが車でご案内してきていた。

 昨号で書いたが、こんな年末のご不幸はご親戚など周囲の方々には大変なこと。しかし、担当するスタッフ達にも家族の存在があり申し訳ない思いも抱く。

  自動車で有名な「ヘンリー・フォード」の言葉に『奉仕を考えるビジネスは栄えるが、利益を第一にする企業は滅びる』というのがあり、葬儀の仕事をビジネス と表現したくないが、社会に歓迎と賛同されるサービス提供こそが我々葬祭業に課せられた責務であり、その一面として奉仕の精神を忘れたくないものである。

「川 端康成」さんの言葉に『死んだ時に、人を悲しませないのが人間最高の美徳さ』というのがあるが、そんな死を迎える人が果たしてどれだけおられるのだろうか と考えてしまう。亡くなられたプロゴルファー「杉原輝雄」さんについて、看護をされていた息子さんがインタビューに答え、「もう痛みに苦しまなくてもよい ことが救いです」と言われていたのが印象に残っているが、それは確かに周囲を救う終焉の姿と言えるかもしれない。

 ある高齢の方が急逝さ れた。朝に起きて来ないので起こしに行ったら亡くなられていたというものだったが、それを知られた多くの方々に「結構な往生だ」「私も肖りたい」なんて言 葉を交わされていたが、遺族と呼ばれるようになった家族にとっては、何の覚悟もなく、ご本人から別れの言葉を耳にすることさえなかったのだから後悔の残る 終焉の現実となってしまったのである。

 人の死は様々。これまでの経験から思うことは、逝く人、送る人、その両者に心残りがないことが理想で、旅立つ際には、来世に夢を託して去りたいではないか。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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