2012-01-14

変化の中で  NO 2810


 随分昔のことだが、著名な漫画家「ちばてつや」さんの作品に「ハリスの旋風」というのがあった。主人公は石田国松という腕白だったが、中学時代の同級生に面白い人物がおり、今でも思い出す。

 彼は成績優秀で大阪大学からアメリカに留学、その後に帰国して道路公団の重鎮として活躍したのだが、帰国してからずっと年賀状をくれ、そこには「国松、大阪へ帰る」などと書かれた漫画が描かれていたので印象に残っている。

 こんなことを書くつもりはなかったのだが、この「旋風」を「かぜ」と読ませていた作家の発想に拍手を贈りたいもの。今日は、そんな「旋風」について触れておこう。

 我が大阪の「旋風」と言えば、橋下市長を思い浮かべるだろう。時代が求めた寵児のように知事から市長への鞍替え当選を果たし、今や「維新の会」の風が強く吹き荒れ、そのスピード感に絶賛の拍手を贈る人達も少なくないようである。

 一方で、敵対姿勢を見せていた週刊誌の「新潮」や「文春」などでは、挙って大学教授の批判記事を掲載し、全国的に話題となっているようだ。

  旋風は間違いなく起きている。それは確かだが、その結果は彼の「人気」ならぬ「任期」を終える時に判断されるもの。それまで我々市民は、ただ注目しながら 見つめていることしか出来ないのかもしれないが、衆議院の解散選挙にでもなればまた新しい旋風が吹き荒れると予想される。

 橋下市長にと やかく言える立場ではないが、老婆心からすると知事時代の一連の「島田紳助」氏問題の際、「紳助さんのお陰で・・云々」発言にはがっかりしたことは確か で、どうして「残念なことです」という立場的範囲内で止めておかなかったのかと、それこそ残念の思えてならないのである。

 前述の教授の意見に「こども市長」という言葉があってびっくりしたが、変革のために攻撃する際に「される側」のことを考慮し、納得させる説得力が重要であり、一方的に攻撃するだけなら大きな「歪」や「軋轢」が生じることを懸念している。

 最近の号で「臆病であれ」や「謙虚に」というタイトルで書いたが、影響力を与えられた立場で大切なことは「正座」をして行動することで、絶対に「胡坐」を掻かないようにするべきと考えたいもの。

  過去に書いたことがあるが、私が「島田紳助」氏と「和田アキ子」さんの番組を敬遠していたのは、出演する他の人達が「尻尾を振る子犬」のように感じてしま うからで、媚びる姿勢ほど醜いものはなく、それをテレビと言う媒体で売り物にする光景に強い抵抗感を抱いていたものであり、故に「お陰で」なんて発言を知 事から聞いた時に衝撃を受けた訳である。

 我が業界にもおかしな言葉が罷り通っている現実がある。「感動」の葬儀なんて言葉を堂々と使用 する発想が寂し過ぎるではないか。感動とはどんなことか? それは70年、80年と生きられた方々が送られる際、目に見えない波動で伝わって来るもの。人 生の体験の浅い人達や、孫を持っていない年齢層がビジネスと割り切って、軽々しく使う宣伝コピーではないのである。

 そんな宣伝文句を表面に謳っている葬儀社は、まず信用出来ないと、やっと年齢的にプロになったと考えている私が書いておこう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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