2012-02-02
震えますね! NO 2829
喪主様が私の昔をよく知っておられると聞き、お名前を確認するとすぐに分かった。時代は若かりし頃に流行していたボウリングに遡る。当時の喪主様は関西に 知られるアマのトップボウラーで、ボウリングの大会があれば、いつもスポーツ新聞にお名前が掲載されていたのではっきりと憶えている。
少し早めにお通夜の式場へ行き、和室におられた喪主様と久し振りに話をしたが、互いに3人の孫を持つ年齢を確認し合い、身体を厭わなければというような話になってしまい、旧交をあたためるどころではなかったので申し訳なかった。
他府県からご来臨のご導師だが、葬儀に3時間を要するそうで担当者が大阪の事情を説明申し上げ、明日の分を今日のお通夜に移行されるとなり、今晩は1時間半ぐらいのご読経があると聞いて驚いた。
これがもしも地域の会館であれば寒さに凍える弔問者が出たものと想像するが、これこそ不幸中の幸いと言えば御幣があるが、弊社の式場だったので助かっている。
お通夜のご読経が1時間半ともなれば、喪主様のご謝辞の時には大半の方がおられないことになってしまう。ご弔問に来られた方々も「こんなの初めて!」とご体感されたと想像する。
ボウリングを始める前、卓球をやっていた時代がある。目標であった大阪社会人大会を優勝して卓球を卒業し、ボウリングを始めたという経緯なのだが、卓球で は世界チャンピオンになられた星野展弥さんとも練習試合をしたことがあるし、67歳で全日本選手権で通産100章という偉業を成し遂げられた伊藤和子さん とも混合ダブルスで対戦したこともあった。
現役時代、大阪府知事杯で第2シードや第3シードになった歴史もあるが、当時の知事杯の会場となっていたのは大阪難波の卓球場で、昔の大阪球場の横を通って行った南海本線の高架下にあり、入り口のすぐ横にはスケートリンクがあったと記憶している。
ボウリングでの思い出だが、もうあまりやらなくなった頃、ある友人がやって来て「新しいボウリング場がオープンするぞ。記念イベント大会の飛び賞を狙って 申し込んできたぞ」と私の分まで参加費を払って来たからと誘われ、当日に少し早めに会場入り。2ゲームほど練習をしてから本番を迎えたら、何と2位入賞と いう結果にびっくりだったが、その時にダントツのスコアで優勝されていたのが冒頭の喪主様だった。
ボウリングで忘れられない出来事は、 取引先が月に1回開催していた大会への参加だった。優勝することが決まっているからと、ずっと不参加だったのだが、深い交流のあった同業者の社長にも誘わ れ、マイナス60点というハンデを申し出て仕方なく参加することになった。これでおかしなスコアだったら恥ずかしい限りだが、そんなリスクを背負うのが大 好きというおかしな性格。やがて当日を迎えた。
二つのレーンを交互に投球するアメリカン方式で行われたゲームだが、時間が遅かったこと もあって油が薄い状態なっており、どうにもならないほど曲がってしまうので困っていたが、2ゲーム目の中盤の頃、ガーターすれすれという3枚目ぐらいを 狙ったら何とかポケットに行くコントロールが掴めた。
そして、3ゲーム目、8フレームまでストライクが続いている。9フレームの投球前、ボウリング場の会員達が行っていた競技を中断してシーンとなった状況で投げたら、これも見事にポケットに入ってストライク。残すは10フレームとなった訳だが、10投目は
ポケットに入ったにも拘らず、8番ピンがタップした状態になったみたいで残っていた。
そんな結果で3ゲーム700以上のスコアとなり、ハンデの60点を差し引いても確か670点ぐらいだったと思う。もちろん優勝となり、それから二度と誘われることはなくなった。
この「独り言」の訪問者の皆様の中に、もしもボウリングをされている方があればと思い裏話を吐露すると、下手だった私が急激に上達したのは、ある入門書を 読んだから。そこにレーンの油の状態について詳しく解説があり、10枚目から外は油の存在がないことを知ったことと、ボールの指穴の下に錘が埋め込まれて あり、穴を開ける際に、その位置を変えるだけでフック回転やカーブ回転が自由に出来ることになり、これらは、ゴルフクラブによるインテンショナルフックや スライスみたいなものと言えるのでお試しを。
さて、ちょっと長くなるが書いておこう。お通夜からの帰路に冷えてしまった身体。特に膝か ら下がどうにもならないところから、帰宅してから銭湯に飛び込んだのはいいが、今日の日替わりの湯の「ドクダミ」に浸かっていたら、転寝をしてしまったみ たいで、「大丈夫?」と女将さんの妹さんに声を掛けられ目が覚めた。
明日は過日に受けた「MRI」の撮影に行く。前回は頭部、今回は頚部ということだが、これも再発をしないように布石と考えた行動である。