2012-02-27

旋律と戦慄  NO 2854


 テレビのCMからどこかで耳にした懐かしい歌が聞こえてきた。歌っているのは女性だったが、しばらくして歌詞と旋律から思い出したのは、その歌をレコードとしてリリースして話題を呼んでいた人物。我が生野区の疎開道路で屋台を開店されていた「屋台のおっちゃん」だった。

 おっちゃんはラジオで占いのレギュラー番組を持っていたほどの有名人で、上述の曲がラジオから流れるのを何度も耳にしていた。

 曲名は「デンデラリュウ」だが、長崎県地方に伝わる童歌だそうで、おっちゃんが原曲に作詞と作曲を加えてアレンジ、今から35年前に世に出たものだった。

 確かラーメンから串カツの屋台に変更された歴史があったようだが、ラジオの存在からかなりの有名人となり、夜だけ営業された店は結構いっぱいになっていたように記憶している。

 おっちゃんのご伴侶がご逝去された際、ご自宅から歩いて10分ぐらいにあるお寺でお通夜と葬儀が行われたが、届けられる弔電の数が半端じゃなく、誰もが知る歌手やレコード会社などがあったので印象に残っている。

 葬儀が終わって火葬場に向かう車内での会話に、「多くのお葬式に参列したけど、あなたの司会は普通じゃないね。びっくりしたよ」と仰り、同乗されていたお寺様が私のことについて解説してくださった出来事も懐かしい。

 そんな帰路の車中、おっちゃんは「私が亡くなったらあなたが司会をしてね。ここで頼んだからね」と言われ、続いて「お寺さんが証人だからね」と結ばれた。

 それから何年か月日が流れた時、おっちゃんがご逝去。お寺様のお話から私が呼ばれ、おっちゃんを送る葬儀を担当させていただいた。

 寒い時期、長髪で高価そうなロングコートを召しておられたお姿を懐かしく思い出すが、今でもご自宅の入り口の上に看板が存在し、「屋台のおっちゃんの店」と表記され、前を通る度に思い出している。

 さて、我が業界は、いよいよ混沌としてきている。前号で触れた「感動を売り物にする」低次元な発想もそうだが、スーパーや百貨店をはじめコンビニまで葬祭業に参入するニュースも昨秋にあった。

葬儀を「ビジネス」と捉える発想自体に抵抗感を覚えるが、ファミリーマートが企画する「パック」葬儀や、要望があれば僧侶を派遣するという考え方。これで宗教界がどんな思いを抱かれるかなんて配慮は一切ないよう。

 葬儀は、決して「処理的」発想をするべきではないし、ビジネスという言葉を使用することにも神経を遣うべき。「家族」が突然に「遺族」と呼ばれる悲嘆の現実を知らずに、そんな簡単で冷たい発想をするなんて信じられないほど悲しいことだ。

  こんなことを書いている私は、ある意味時代遅れの「老害」的存在と言われそうだが「ご仏縁」という言葉を大切に考え、葬儀に携わる仕事は専門職という考え 方は不変のもの。本業が下り坂なので「手数料稼ぎ」で参入とは情けない考え方。過去にローソンが葬祭ビジネスに企画参入した歴史もあるが、人の最後の大切 な儀式を、スーパーやコンビニのパックで送るとは寂し過ぎるではないか。

我々の同業者が「どうぞ、ご自由にやってください」と言えば、間違いなくスタートが出来ないものだが、下請けを承知で入って行く弱い葬祭業者が存在するのも事実。そんな両者の関係に、葬儀を託するお客様があまりにもお気の毒な思いを抱いてしまう。

 葬儀社を下請けにし、ご不幸や悲しみを単なるビジネスと考えるハイエナ的ピンハネ戦略には背筋がゾッとする。

 高齢社会の到来で、葬祭業界は成長産業と注目されてきた歴史もあるが、私は十数年も前から完全な斜陽産業であると言い続けてきているし、生き残るのは本物の業者だけと説いてきた。

  偽者といえば隣国の中国の専売特許みたいだが、我が国の葬儀だけは本物であって欲しいと願っている。「要請があれば何宗でも対応」とか「法事や葬儀に僧侶 派遣します」というお寺さん組織のネットCMに驚いたことがあるが、お寺さんにも本物と偽者の問題が浮上しそうで、ビジネスで派遣される上述のケースで は、本物の宗教者は固辞されると信じている。

 昨号で紹介した講演会に参加してきた。内容については明日に触れるが、講師の悲嘆心情に対するケアの現実について学ぶことが多くあり、有意義なひとときとなったが、こんな話を上述のスーパーやコンビニの経営者に聞かせたいものである。ああ嘆かわしき哉。
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