2012-03-14

映画の栄華な時代  NO 2871


 喫茶店で会ったこの独り言の訪問者から、昨号に書いた大井川鉄道について教えて貰った。テレビ・カーとして有名だった京阪特急もあるそうで、広軌と狭軌の問題をクリアするために、東京の狭軌の電鉄会社から譲り受けた車両の台車を組み合わせたそうだ。

 昨号で触れた近鉄特急も、狭軌である南大阪線のものだったし、随分と昔の近鉄名古屋線を走っていた特急車両もあるそうだ。

  現在の名阪特急の大半は中川駅を経由しないが、昔は中川駅で乗り換えという不便を強いられていた。大阪線が広軌、名古屋線が狭軌というところから仕方な かったのだが、名古屋線が伊勢湾台風による甚大な被害に遭い、復旧する際に当時の佐伯社長の発想で広軌に変更した歴史があることは知っていたが、上述のこ とは鉄道マニアである彼らしい薀蓄だった。

 人生を振り返ってみると、そこには様々な光景や思い出が蘇るもの。私が初めて映画を観たのは公民館の広い庭に仮設されたスクリーン。タイトルはマラソンを題材にした「心臓破りの丘」と「アマゾンの半魚人」の二本立てだった。

 それは、小学校2年生のことだったが、その後、母に連れられて近所のおばさん達と「ゴジラの逆襲」を観て、そこに登場したアンギラスのことをはっきりと憶えている。

 当時、国道25号線の桑津北口の辺りに東宝系の映画館があり、その前を通るのがいつも楽しみだった。

 弊社の葬儀式場「シーン西館」があるのは疎開道路だが、斜め前の信用組合横の路地を入ったところに映画の大看板を描く画家のアトリエがあり、よく見学に行って叱られたものだ。

  画家のおじさんはいつも忙しく、描かれた作品はあちこちの映画館に貼られていたが、パーク劇場、生野大劇、生野映劇、コトブキ座、電気館、敷島東宝、生野 東映など、自転車で5分以内に行ける範囲にこれだけ映画館があったのだから、今考えればその繁忙振りは当たり前だったのかもしれない。

 映画で印象に残っているのは「駅馬車」「アラモ」「西部開拓史」「渚にて」などだが、同じ映画を何度も観に行ったこともあり、特に「ジョン・ウェイン」主演の西部劇が好きだった。

「駅馬車」のリバイバル興行を観たのはミナミにある「松竹座」だったが、他はすべて阿倍野の近映系の映画館だった。

 テレビが普及されていない時代、映画は娯楽の世界にあって王道を走っていたようだが、上述の映画館はすべて廃業され、マンションや駐車場などになってしまっている。

 テレビが普及し始めた頃のプロレスの力道山や大相撲の栃若時代が懐かしいが、NHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」が何かしら印象に残っている。

 カラーなんて夢だった時代。すべて白黒というセピア、モノトーンの中、「スティーブ・マックイン」の「拳銃無宿」や「チャック・コナーズ」の「ライフルマン」を楽しみにしていたことも懐かしい。

  我が家から歩いて2分のところにあったのが洋画専門のパーク劇場だったが、3本立てを観に行っていた時、客席が煙に包まれて大騒ぎになったことがあった。 幸いボヤということで助かったが、もしも寝入っていたら大変なことになっていたかもと想像すると、今でも背筋が寒くなる。

 その時の映画館の対応だが、出口で整理券をくれ、再営業した時の無料入場券ですと配られていた。

  さて、午後6時過ぎに東北や北海道にかなり強い地震が発生し、津波注意報が出ていたので心配していたら、しばらくして解除されたのでホッとしたが、午後9 時過ぎに千葉や茨城で震度5強という強い地震が発生したというニュース。関東に在住している孫達のことが気にかかり、続いている余震が治まることを願って いる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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