2012-04-17

レトロな思い出  NO 2903


 岩手県宮古周辺を走るボンネットバスが話題を呼んでいた。今やボンネットバスは観光の目玉と化した感があるが、終戦当時から続いて私の小学生時代はそれが主流だった。

 小学校5年生から越境通学となった歴史があるが、疎開道路の南生野3丁目というバス停から阿部野橋まで市バスに乗り、阿倍野から上町線を利用して通学していた。

 疎開道路から国道25号線に至ると、林寺新家町、源ヶ橋、寺田町駅前、寺田町、阿倍野橋となっていたが、疎開道路を走る「11番」路線は本数が少なく、林寺新家町まで歩くと八尾、今里、杭全町から来る路線があり、いつも25号線まで歩いていた。

 当時は国道25号線を市電が走り、恵比須町から阪堺線を利用する方法もあったし、寺田町から現在の環状線で天王寺まで行くこともあった。

 遠い昔に「省線」と呼ばれていた環状線だが、大阪駅まで乗っても小学生は5円、大人は10円だったのに、バスと市電は小学生10円、大人20円と高かった。

 市バスの中のボンネットバスに古いタイプが走っていた。日産自動車と併合されたに「民生ディーゼル」のバスだが、「モクモクモク」というような音で走っていたことを憶えている。

「いすゞ」や「日野」のボンネットタイプからやがて箱型が潮流となったが、「三菱ふそう」のエンジン音が好きで、帰路の阿部野橋からはそれがやって来るまで待ち合わせたこともあった。

 箱型のエンジンは後方にあり、そこだけ一段高くなった車内設計だが、「日野」の箱型のエンジンは下部にあり、最後部のシートも普通だった。

 運転の仕方に興味を抱いた少年時代だが、そんな「日野」のブレーキはアクセルペダルと同じタイプで、当時からパワーブレーキとなっていたようである。

 朝の通学通勤タイムの混雑振りは想像以上のもの。市電よりバスの方が混んでいたように感じていたが、時折に市内観光に使用されているバスが応援に回されていることもあり、いつもの緑色のシートが赤いのですぐに分かった。

 阿部野橋から四天王寺西門を回る「11番」系統は、疎開道路から大成通りを経由して今里車庫に向かっていたが、「12番」系統は百済から生野小学校を経由し、今里筋から今里車庫へ行っていた。

 それからしばらくするとトロリーバスが登場し、阿部野橋から下味原を通る系統や、杭全町車庫から今里筋を通り、緑橋、蒲生4丁目を経由して守口車庫へ向かう系統もあったが、今の弊社の本社前をトロリーバスが走っていたことを知る人達は60代以上になるだろう。

 本社の真向かいにあったケンタッキーが閉店し、目印がなくなって寂しい思いをしていたら、何やらカフェショップがオープンするそうで歓迎したい。

 そうそう、バスを利用する定期の購入だが、当時は住吉車庫まで行かなくてならなかったので大変だった。

 また、阿部野橋から南へ走り、阪南町から右折して北畠、姫松を通る市バスの路線もあった筈で、何度か利用した記憶がある。

 上町線の帝塚山3丁目から4丁目は高級住宅街で、珍しかった外車の姿を見ることが多たし、そんな中心に帝塚山学院があり、我々と異なる別世界を感じていた。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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