2012-04-26
様々な教えから NO 2912
宗教は、社会が混乱している時に「今こそ宗教が」と登場するし、安穏平和な時にも「今こそ宗教が」と行動されると言われている。
政治が混乱を極めているようで、前者の状況を迎えていることを物語るように、今年になってから様々な宗教や組織団体の方々から機関紙と呼ばれる冊子やプリントを頂戴している。
順不同で紹介すると、生長の家、倫理宏成会、エホバの証人、天理教、幸福の科学などだが、来訪してくださる方、またいつもポストに投函してくださる方もあり、それぞれから様々なことを学ばせていただいている。
人間は口が一つに耳が二つと言う言葉があるが、多く聞いて少しだけ喋る謙虚な姿勢が望ましいのだが、こんな「独り言」を性懲りもなく発信を続けているなんて相反することで、「書く」ことは恥を「掻く」ことだといつも理解しながら生かされた証として今日に至っている。
頂戴した時報特別号に一枚のプリントが入っており、「人は鏡」とタイトルされた内容に興味を抱いたので原文のまま紹介をしておこう。
『良心のある人にしか 人の良心は見えません。自分を信じられない人は 人も信じられません。人は鏡のように自分の心の姿を写し出しています。自分の良いところや問題点を発見して、自分で分析してよく知っておくということは大切なことではないでしょうか』
『鏡が汚いと思って自分を振り返らなかったら、自分が笑われているのかも知れません。もし、人を人と思っていないような人が居たら、実はその人だって人でないようなところがあるはずです』
『もし、人を尊敬して、人を神様のように見ている人が居たら、その人もきっと尊敬に値する立派な人に違いありません』
『目の前にどんな人が現れるか、それは神様が、自分に足りないものを教えるために連れてきて下さっていると悟るのが一番よいのではないでしょうか』
これは、天理教の「人間いきいき通信」の機関紙に挟まれていたものだが、通信の方のトップ見出しには「立教175年 こどもおぢばがえり」と書かれ、大勢の子供達のカラー写真が掲載されていた。
「ようこそおかえり、子どもたち 人間の故郷で生きる力を育もう」との見出しで綴られていたが、写真の説明として「ただいま帰りました!」元気に帰ることができた喜びを、神様に報告するため、子どもたちは礼拝場に向かうと書かれてあった。
昔、名古屋からの帰路、天理教の大祭で大渋滞に巻き込まれ、福住インターで降り、天理のダムから下って来たら、天理市内を抜け出すのに2時間も要した苦い体験もあり、宗教の人を集める驚愕のパワーを認識した思い出となっている。