2012-05-01
社会変化の中 NO 2916
数日前、友人である九州の同業者の社長に電話をしたら、お寺のご住職のご葬儀で大変と言っていたが、松山在住の塾生のブログを開いたら、瀬戸内海の島で執り行われる大僧正のご葬儀への対応で追われているようなことが書かれてあった。
お寺様のご葬儀は本当に大変である。私も過去に100人のお寺様方がご読経を勤められる寺葬を担当したことがあるが、終わってからの虚脱感みたいな疲労感 は体験した者にしか理解出来ないもので、緊張の糸が緩んだ瞬間にしばらくは何もしたくない思いになってしまうものだった。
多くの寺葬や 檀信徒葬を担当させていただいた歴史があるが、お寺様の人数からすると四天王寺で執り行われた太平洋戦争全物故者の慰霊祭が群を抜いている。各宗派のお寺 様が250人、雅楽や舞楽を担当される方々が30人以上という大規模なもの。プロデュースと司会を担当した本番の緊張は想像以上の世界だった。
歴史ある木造建築のご本堂で読経が勤められると、そこは特別な「聖域」となる神変の世界が感じられるもの。過日に行った「甲斐善光寺」の本堂でのご読経もそうだったが、そんな空間に身を置くだけで心が洗われる感じがするものだ。
さて、次々に承るお客様への対応にスタッフ達が走り回っているが、どうか事故だけは起きないように願って手を合わすのが日課となっている私。最近は我が業 界に就活されて来る学生さん達が増えて結構なことだが、この仕事の本義と奥深さを教えなければ本物への階段は上がれないもの。そこに基本として求められる 姿勢が「謙虚」と「礼節」なのである。
どんな世界にも価格破壊という言葉が蔓延っており、そんな悪影響がバスの大事故につながったという報道もあったが、我が葬儀業界にもややこしい業者が次々に登場してきており、知らないで依頼されたご遺族が二重の悲しみに陥られるというお気の毒なことも起きている。
そんな中、弊社の社名にブランドみたいな安心感を抱かれるお客様もあるようで、業界の乱れが想像もしなかった風のような感じもしている。
ツアー会社とバス会社の関係は、そのまま当て嵌めれば我が葬祭業界にも顕著のようで、スーパー、コンビニなどが葬儀業者を下請けという立場でビジネス化を図り、紹介手数料を目的とする考え方は、そのまま消費者の皆さんが被害者となる構図が見えて来る。
そんな下請けを一切しない信念も重要で、仕事にプロとしての誇りを抱いていれば考えられないこと。契約を結んでピンハネされる業者の弱さが気の毒でならないこの頃である。
21世紀は「社会歓迎」と「社会賛同」が重要なキーワードであるが、誇りなくして価格競争に走る道は間違いなく破綻するだろうし、そんな業者を選択されるお客様に迷惑が及ぶことも事実。
車や電化製品なら買い替えが可能だが、葬儀をもう一度「やり直す」ことは不可能なこと。それだけに業者選びが全てということになるだろう。