2012-05-09
悲しい記憶から NO 2924
関東平野で竜巻の甚大な被害が発生した不順な天候の日、京都の北部で大きな「雹」が降ったというニュースがあった。確かテレビのテロップによる気象情報に 「京都に竜巻注意報」が表示されたと記憶しているが、あちこちの農家のビニールハウスに穴が開いて大きな被害が出た映像に驚いた。
雹の大きさは様々だそうだが、過去にソフトボールぐらいの大きさが記録されたというのだから恐ろしい。ヘルメットでも装着していなければ直撃で即死の結果を招くだろう。
自然とは不思議で恐ろしいもの。故に人は「謙虚」でなければならないことを知るが、竜巻の強さを表す「藤田スケール」というものが、アメリカでご苦労され て竜巻研究に取り組まれた日本人「藤田博士」の功績を称え「F」のイニシャルが設定されたのは、過去に書いたように有名な話である。
夕方に大阪でも雷鳴が聞こえたが、明日に掛けては過日のように荒天が予想され、突風や竜巻だけではなく大雨や雷の恐れがあると予報されていたが、被害が発生することだけはないようにと願っている。
ある家の前お通った。昔の表札がなくなっている。多くのご葬儀を担当させていただいた歴史があるが、忘れられない悲しい思い出が蘇った。
A君は私の娘と同学年だったと記憶している。若いお母さんが急逝された葬儀を短として知り合うことになったが、幼い妹さんといっぱい涙を流していたお別れだった。
その後、銭湯で会うことがあり「妹さんをしっかりとね」と声を掛け、それから会う度に「おじさん」と呼んでくれるようになった。
過去に何度か書いたことがあるが、悲嘆にくれる心境の中に「思慕感」という特殊な思いが生まれ、それは悲しみの事実を知る我々葬儀に携わった立場も対象になり、会話をするだけでも癒しにつながる存在となるケースが考えられる。
そんな彼が、「おじさん、就職決まったよ」と笑顔で語ってくれたのは高校を卒業した春のことだった。妹さんも中学生から高校生になるそうで、仲良くがんばりなさいよと返しておいた。
A君が就職したのは大手の電気関係の会社。やさしくて真面目で笑顔の素敵な若者だったが、それから1年も経たない内に、信じられない電話があった。電話は妹さんからで、泣きながら「お兄ちゃんが無くなったの。おじさん、助けて!」と言うものだった。
自宅に参上して知ったことは、A君が仕事の現場で事故に巻き込まれてしまったということで、ガツンとハンマーで殴られたような衝撃を受け、葬儀と言う仕事に従事している自分が無性に腹立たしくなった。
悲しみの葬儀、それは想像出来ないような疲労感と虚脱感に襲われた。妹さんの泣き縋る姿が今でも忘れられないが、もう、彼女も家庭を持って子供の存在があるだろう。そこで家族の「温もり」を感じてくれていることを願って手を合わす。