2012-06-25

寂しい話  NO 2967


 生野本通商店街の源ヶ橋入り口に書店がある。愛読書である「大法倫」と「PHP」を毎月届けてくださっているが、今日、その前を通ったら過日に紹介させていただいた本のことが大きく掲示されていた。

 深いご仏縁に結ばれるご住職が上梓された「命ってなんやろう」だが、結構話題になっているようで喜ばしいことである。

 そんな商店街の中である女性に遇った。彼女は昨日の葬儀に会葬されていたが、少し前まで割烹の女将さんとして頑張っておられた。ご主人は私と同年。彼の作る天麩羅が特別で、連れて行ったことのある初孫が病みつきになり、大阪に来ると食べたいという代物だった。

 少し前までと書いたのは、その割烹の営業を止められたからで、ご夫妻の健康を優先されたようだったが、美味しい天麩羅のことを考えると残念至極である。

 自宅に戻ってポストを確認すると、定期的にポスティングされる天理教の時報があった。その表紙に「西薗和泉」さんの「ねむの木」の一文があり、秀逸だったので原文のまま紹介を。

『思いやりと慎みは二つで一つ 心に刻み直したい本来の美徳』

『日本人特有の概念の一つに「慎み」があります。この言葉には「慎み深い」「慎ましい」「慎ましやか」などと、ほぼ同じ意味ながらさまざまな表現が存在します。これは、古くから日本人が重んじてきた美徳であることを示しているのではないでしょうか』

『美徳といえば「思いやり」もその一つに数えられます。よく考えると、思いやりと慎みは多くの場合、表裏一体であることに気づきます。例えば、電車で高齢者や妊婦に席を譲る。そこには相手への思いやりとともに、自分が座っていては申し訳ないという慎みが感じられます』

『また、。誰かを助けたい、力になりたいと心から思えば、どんなに忙しくても時間を割いて親身に話を聴き、自分のしたいことおいてでも人のために動くものです』

『昨今、公私の場でも人と人の関係においても、思いやりと慎みの欠如を感じることはないでしょうか。私たち一人ひとりが、こうした本来の美徳を心に刻み直し、人の温かさをより感じ合える世の中にしたいものです』

  そんな文章を読みながら、今日体験した出来事に触れておこう。前方から若い女性が自転車でやって来る。携帯電話の会話からかニコニコした表情で片手運転だ が、法律を遵守するハートがないのかと寂しくなる。小さな犯罪は、やがて大きな犯罪につながる「芽」でもある。携帯電話の登場で、社会と車内のマナーが低 下したのは確実のよう。

 さて、今日のご葬儀は雨が降らずに助かったが、お通夜を迎える前に大粒の雨が降り始めたので心配した。ご多数の弔問者が参列されるそうだが、明日は降らないようにと手を合わす。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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