2012-07-05

命の教育を  NO 2977


 福島県郡山市の小学校に敷地内で、忘れ物を届けに来た保護者の車が幼い児童を巻き込む事故を起こしたニュースがあった。何とも痛ましい悲劇で、忘れ物問題がなければこんな事故が起きていないと考えれば、天の描く残酷なシナリオの現実に腹立たしさを覚える。

  昔、小学校のPTA会長を4年間担当させていただいたことがあった。正門と反対側にある南門から給食室に搬入のための車が出入りし、校庭を通る問題がずっ と続いており、隣接する中学校との用地転換などの話し合いをしたこともあったがうまく運べず、大きな懸念となっていたのだが、ある時、隣接する土地が売買 されてマンションが建つという情報知り、地域団体のすべての役員さん達に呼び掛けてお願い申し上げ、そのバックアップをいただいて大阪市に陳情することに 発展した。

「校庭で交通事故が起きたら大変」という問題は大きく、しばらくするとその用地を大阪市が買収する結果となり、やがて給食室の移築、屋上プール付の体育館落成など、大改革することに至り、その落成記念式典を済ませて会長職を終えた歴史も忘れられない思い出である。

 いつも最悪のシナリオを考える臆病な性格、だからこそこんな行動と結果が生じたのだろうが、昨日のニュースにはどうにも腹立たしいもう一つの事件があった。

 滋賀県大津市の中学校で生徒が自殺、その悲しい事件の裏側に想像もしなかった最悪の「いじめ」が隠され、学校、教育委員会だけではなく、3回の被害届けの受理をしなかった警察の冷たい対応も問題になっていた。

  報道される範囲内でしか知ることは出来ないが、「自殺の練習」を強いていた生徒達がいたそうで、それを目にした先生が笑って見過ごしていたとは信じられな い話だし、アンケート調査の結果に表明した事実も緘口令が敷かれていたというのだから始末が悪過ぎる。亡くなった生徒さんにはあまりにもお気の毒だが、ご 家族のご胸中を拝察すると怒り心頭の世界であろう。

 教育とは何だろう。学業を経て社会人として世に出るが、理数よりも真剣に学ばなければならないのは「命」の教育ではないか。こんな悲しい葬儀が行われている光景を誰もが考えて欲しいと願っている。

 加害者であった生徒達は「えらいことになった」と後悔しているかもしれないが、その両親達も教育を誤ったと後悔するべきだろう。

  私は、この事件を教訓にして、これまでの考え方を変更することにした。それは、関東に在住する孫達との会話で、いつも「いじめられたらお爺ちゃんに電話を してきなさい。すぐに行って解決して上げるから」と伝えているものだが、これからはそれに加えて「周囲でいじめられている子はいないか」を増やそうという ものである。

 もちろん、それらは絶対にいじめる側になっていないと信じての行動だが、それも再確認をしなければとも考えている。

 この陰湿ないじめ問題は奥の深い問題のようで、両親にも話さずに苦しんでしまう子供達が想像するより多く存在するところから、学校関係者の皆さんの意識改革を願うばかりである。

 同年代の友人達の会話の中で孫談義は多いが、「いじめられたらお爺ちゃんに」と言うと、誰もが「そうだな、それいただきだ」と同感されることが多く、我々高齢者がサイドから幼い子供達を見守ることも残された重要な責務のように思っている。

 深く心の傷を負われたご遺族への配慮。それは関係者が「非」を認めることからは自前なければならないもの。学校関係者や教育委員会、また警察の副署長の会見の言葉には、残念ながらそんな心遣いが全く感じられなかったので寂しい限りである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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