2012-07-31

昔の思い出から  NO 3003


 オリンピックの中継を観ていた。卓球女子の石川選手がベスト4入りを果たしたが、福原選手は世界ランクトップの中国の選手に敗れてしまった。

 遠い昔の青春時代、体重49キロのという痩せた身体で卓球に挑戦していたことがあるが、当時は21点先取というルールだったのに、今では11点先取に変わっている。

  滅多に適用されることはないが「促進ルール」というものが存在しているのは当時も同じ。今では1セットのゲーム開始から10分オーバーで両者の得点合計が 18点までだったら突入されるが、サーブが1本ずつ交代になり、レシーブ側が13本目のラリーを返球した時点で得点となるルールだが、守備型タイプ同士で は長引くこともあるので設定されているものである。

 そんな時代の仲間の一人が23歳という若さで結婚することになり、当時に人気の高かった新阪急ホテルで行われた披露宴で友人代表の祝辞を述べた思い出もある。

 披露宴がお開きとなり、新婚旅行に出掛ける新郎新婦をい伊丹空港まで送ろうと、2台の車に分乗して向かったが、当時の憧れだった「スカイラインGT」と「マークⅡハードトップ」のどちらに乗せて貰おうかと迷い、往復でそれぞれの車に乗せて貰うという体験が嬉しかった。

 その新婚旅行だが、空港へ帰阪した際に迎えに行ったら、えらく感謝され、食事を奢ると連れて行って貰ったのが「割烹 日本」だったが、当時に宗右衛門町の支店の存在はなく、行った本店はニュージャパンの南側の入り込んだところに在していた。

 そこで食事をしながら聞かされた話に驚くことがあった。九州をレンタカーで走り回ったそうだが、途中で運転を誤り田んぼの中に落ち、幸いいして負傷しなかったらしいが、なぎ倒した稲作の損害まで負担する羽目になったと言ったからだ。

 そんな彼は、若くして亡くなってしまった。酒好きから身体を壊してしまったようだが、「泣き上戸」だった彼、ある時、友人の経営する割烹で突然に泣き出し、初めて「泣き上戸」ということを知ったのだが、その時に言った彼の言葉は今でも忘れられないでいる。

「お前なあ、これからもずっと付き合ってくれよな。お祖母ちゃんがお前は生涯の友達だと言っていたよ」

  身体が丈夫なタイプでなかった私が現在も生かされている。7回も入院しながら戻って来るのだから不思議である。多くの人の最期の大切な儀式を担当させてい ただく責務からかもしれないが、何か世に生まれてきたことへの「証」としてこの「独り言」を発信しているのもその一つだ。

 松山の塾生の ブログに著名な人物の葬儀を担当することになり、ご本人の自伝の著書をしっかりと読み込んで司会に臨むようなことを書いていた。それで思い出したのが、遠 方の文化ホールで担当させていただいた商工会議所会頭さんの合同葬のこと。ご本人の著書を読ませていただき、ご自分の名前が人生の中で様々に呼称されたと いうページと、これをしたためられた日が千秋楽と表記されていた部分を朗読したことであった。

 会場にはハモンド・オルガンを持ち込み、弔辞を捧げられた4名の方のBGMを担当したが、司会者が自ら演奏するなんてどなたも想像されていなかったみたいで、終わった後で多くの驚きのお言葉を耳にした。

 今日の写真は、昨号で掲載した「悪猫」の6年ほど前のもの。並んでいるのは5年ほど前に亡くなった白猫のものだが、目がオレンジ色の不思議な猫で、西館の近くの自動販売機の下で瀕死のような鳴き声だったのを娘が拾ってきたもの。約20年ほど生きていた歴史がある。
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