2012-08-20
正道を朱みたいもの NO 3020
「幸 せ列車」のコラムの内容がいよいよグローバルになり、この「独り言」なんて恥ずかしい限りだが、「エゾリス」さんの「ぶっぽうそう」という鳥をテーマにさ れる投稿を読み、こんな文章を書かれる人がいるんだとますます恥ずかしくなったが、駄文の列記という「数」だけはと慰めながら、改めて「書く」ことは恥を 「掻く」ことだと認識した。
さて、居酒屋で時間を過ごすサラリーマンにインタビューをするテレビ番組を観ていた。「うちの会社は『頑張ります』と言ったら叱責されます。『結果が全て、数字が全て』と叩き込まれています」と発言するやりとりに衝撃を受けた。
そんな会社が発展することはないと断言する。社内に売り上げの目標や数字を表す掲示をしている会社は最悪だと考えるべき。どれだけのお客様にご満足がというパーセンテージを掲示する会社でありたいもの。
お客様にとって一生懸命に対応してくれるスタッフの評価が高いのは当たり前。上っ面で誤魔化すようなレベルのスタッフなら将来はない。世の中はそれぐらい見分けられると知るべきで、まずは謙虚な姿勢で取り組みたい。
20世紀が終わる頃、21世紀は社会に賛同と歓迎される提案が重視される時代と提起し、新しいサービス発想を発想して多くの賛同者を得た出来事があった が、それが誤りでなかったことがこの10年ほどではっきりした。それをスタッフに伝えることは簡単ではないが、余命のある内にと考えて急ぎたいところだ。
一方で、多くの司会者達を指導してきたが、ある時「アドバイスを」という悩みのメールが他府県の女性司会者からあった。交通事故で幼い女の子が亡くなった お通夜を担当するそうで、泣いてしまうと思うのですが、所属している派遣会社の先生からは「もらい泣きするような司会者はプロでない」と教えられているの です。
それに対する私の返信だが、次のように書いておいた。
『ご参列の皆様、こんな悲しい出来事に遭遇されてお悲しみ のことであられましょう。私は司会を担当させていただきますが一人の人間であり、悲しみを共有するのも当たり前なのです。進行の途中で涙で言葉にならない こともあるでしょうが、その際にはなにとぞお許しくださいませ』
そんなお断りをしてから始めなさいとアドバイスしたのだが、その先生と やらは大きな勘違いをされているようだ。悲喜に左右されるような司会者ではとお考えのようだが、人としての感情がある方が大切で、その空間におられる方々 の心の扉を開ける可能性が高い筈。言葉というものは内面を表現してしまうもの。優しい心なくして優しさのある司会は不可能だ。
そんなアドバイスをした彼女だが、次の日の夕方、御礼のメールがあって次のように書かれていた。
「開式前に教えていただいたお断りを入れました。お通夜、葬儀の両方でそう申し上げました。やはり恥ずかしいほど泣いてしまいましたが、お葬式が終わって還骨の法要を行う前、お母様からあなたが司会を担当してくれてよかった。有り難うと仰ってくださいました」
表情も変えず、淡々と涼しいイメージで司会をしていたらきっとそんなお言葉を頂戴することはなかっただろう。葬儀の司会、そこには技術の前に人間性が重んじられるのである。
今日の写真は、過去に弊社で行われた邦楽コンサートのひとこま。琴を10面も持ち込まれていたのでびっくりしたが、「琴」と「箏」の異なりについて教えていただいたことが印象に残っている。当日に参加された200名を超すお客様には大好評を博したイベントであった。