2012-09-25

原点は?  NO 3056


 昔、産経新聞の朝刊の家庭欄を見てびっくり。東京都内の葬儀の平均費用が4百数十万円と記載され、瞬時にその金額に不可解な疑問を抱いたのだが、支出内容に「香典返し」が表記されていることに「新聞社たる立場でなぜ」と考えられないミスに気付いた。

 支出にあるなら香典そのもを収入として表記しなければならない筈なのに、支出のみとなっているから不思議な話。そこで都内の調査なのだから東京版だと推察し、産経新聞社の東京本社の家庭蘭担当部門に電話を入れた。

 途中から責任者という人物が電話口に出られ、私が誤りについて指摘をしたら「確かにそうです。ごもっともです」と返され、「後日に訂正記事を掲載いたします」に進んで受話器を置いた。

  数日後、私の名前も掲載され、指摘があったので訂正してお詫びをというような小さな記事が片隅に掲載されていたが、都内の葬儀は平均で4百数十万円も必要 なんだと誤解をされてしまった人達にはどうしようもなく、改めて葬儀という世界に対して新聞社も理解していない寂しい現実を知った出来事だった。

 これは産経新聞だけでの問題ではなく、他紙でも同じようなミスをやらかしていたこともあり、仏壇から墓地の購入費、墓石の建立費まで合計して「葬儀費用」として掲載していたのを見て衝撃を受けたが、あまりにも情けないレベルなので抗議電話をする心情にもならなかった。

  新聞のミスを書いたところで今日の産経新聞朝刊に、これぞタイムリーな社会記事と思ったことがあったので紹介を。それは「とらがい まちこ」さんという女 性が取り組まれ完成された「ローレフォト」という世界。自分の葬儀の時の遺影写真を生前に撮影される人も増えているが、彼女はそんな方々のために写真と絵 画をコラボさせたような素晴らしいオリジナル創作を提案されている。

「終(つい)の準備」という言葉も知られるようになった昨今だが、こんな世界があることも知っておきたいものである。

  さて、松山市に在住する塾生のブログに「香典」というテーマで連載があった。中々意味深い問題提議で、作家の梶山季之氏が逝去された時、届けられた供花の 記名札をめぐって柴田錬三郎氏と紀伊国屋の当時の渡辺社長とのやりとりも興味深く考えさせられた。ご覧になる方は、「愛するこどもたちへ」で検索されたら トップページに出るのでお開けを。

 その香典に関してだが、社葬で始まった「香典辞退」が個人葬のあっても潮流となってしまい、最近の大阪市内での傾向では約7割のケースで辞退されているようだ。

 プロと自負する私の考え方からすれば辞退はおかしく、受け取るのが日本人の文化であると思っている。葬儀は「取り敢えず」の意味が重要で、位牌、枕道具などが「白」で準備されるところに大切な意義があり、そこには「用意をしていなかった」との思いも秘められている。

「取り敢えずですね、それだったらお困りでしょう」と、そこで悲しみの心情を併せてお金というものに託して持ち寄る香典というしきたりが生まれ、もう落ち着いた頃だろうという満中陰を機に「香典返し」という慣習が行われてきたのである。

  他県で担当した大規模葬儀、数日後に精算に参上した際に相談を受けた、香典のお返しが面倒だから、いただいた半額を社会福祉に寄贈しようと思っているのだ がと仰ったので、寄贈されるなら全額をされるべきで、お返しするべき金額だけを寄贈されるならおかしいですよとアドバイスを申し上げた。

  かなり社会に知られた方だったので、高額な香典が寄せられたようだが、その半額を寄贈して感謝状を貰い、その旨を挨拶文に入れて送付するなんて絶対に間 違っていること。それぞれの皆様に香典返しをされ、非適切な表現で恐縮だが「利益」になる部分を寄贈するのが本義だと考えたいもの。

 そ の方から後日に「取り返しのつかない恥を掻くところだった」と感謝の電話を頂戴したが、今、全国各地で「香典返しはいたしません。社会福祉に寄贈します」 と会葬礼状に添えられ、ご丁寧に村長、町長、市長などの感謝文が添えられて来ることが増え、それだったら、村律、町律、市律などを全国に公示告知してから 始めるべきだと伝えたい。

 但しだが、同じ村民や町内会同士ならそうあっても許されるだろうが、他府県から参列されるご親戚や関係者から届けられる香典には、そんなお仕着せで対応するのは失礼以前の問題だと提議したいところである。

 今日の写真は、あるお寺のご住職の寺葬のひとこま。祭壇設営は寺院関係の青年組織が担当されたものだが、シンプル・イズ・ベストという言葉が思い出される。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net