2012-10-31
紅葉の季節に NO 3091"
セキュリティを強化してから信じられないほど重たくなったパソコンだが、立ち上がるまで15分以上も要するし、時には固まってしまうこともあり困っている。
昨号を書き上げた際の出来事だが、コピーをしている最中に指が滑ってしまって大変のことに。何かの拍子に「切り取り」になってしまったようで「ている」と いう文字だけが残っていたのでそれを消し、「貼り付け」や「元に戻す」にしても出現せず、消滅してしまったみたいなのでもう一度打ち込んだ。
お陰で日付が変わってからの発信となってしまったが、精神的なダメージが強く、改めてパソコンの怖さを体験した。
朝から医院で診察を受け、常用している薬を頂戴して来たが、先生から「やせなさいよ」と指導を受けたので夜に覚悟を決めて銭湯で計測した。
ちょっとだけだが減量している。食事をセーブした結果だろうが、所用があって友人の
割烹に立ち寄ったら、珍しい「むかご」と立派な柿をプレゼントされ、息子さんのオリジナルデザートという栗のシロップ漬けをいただいき、手に入らないという山口県の日本酒を猪口に一杯だけ飲んで来た。
こんなことをしていたら体重が増えるのは当たり前と反省したが、この秋は不思議とプレゼントやご相伴になることが多く、自宅での食事で考えなければと思っていても、つい食べてしまうので難儀である。
明日は大嫌いな新快速で出掛けるが、また現地で何かを食べてしまうのではと心配しているが、出来るだけ歩行距離を長くしようと覚悟している。
商店街を歩いていると、昨日のご葬儀のお身内のご夫婦と出会い、丁寧な感謝のお言葉を頂戴して恐縮したが、大切な方を喪うと、葬儀を終えてから本当の寂し さが募るもの。特にご伴侶の悲しみのストレスは想像以上のもので、非日常的な出来事に遭遇した悲しみからの脱出は簡単ではなく、そこで敢えて日常的な生活 を過ごす行動性が重要となる。
ご主人に先立たれた奥様が、サラリーマンだったご主人の靴を毎日磨かれているということもあるし、防犯上だけではなく表札をそのままにされているお家も少なくない。
タンス、冷蔵庫、サイドボード、テレビなど、生活されていた屋内の全てに思い出が蘇り、そこでただ涙を流されることも多いもの。
水屋を開ければご主人のお茶碗やお箸を目にすることになる。浄土真宗以外では一般的な習俗として「一膳飯」のしきたりがあるが、ひょっとしてそんな思いをしないように考えられたのではと思ってしまう。
「この世」に生を享けたものは、必然として「あの世」に出立することになる。何度も書いたように「時間」と「死」というものは誰にも平等である。「この世」に生きていると考えるよりも「生かされている」と考える方が日々の人生を有意義に過ごせるように思えるもの。
一 日に国内で約3000人ぐらいの方が亡くなられている。今日のお葬式が3000軒あれば、今晩にお通夜を行われたお家が3000軒あることになる。「無 情」と「無常」の言葉を思い出すが、この季節、良寛様の辞世の句「裏を見せ 表を見せて散る紅葉」を切なく感じる日々である。