2012-11-21

千歳から苫小牧へ  NO 3107


 土産物の第一便を送り終え、正面玄関に行くと大きな車が待っていてくれた。荷物をトランクに入れてくれたのは過去の研修会の際に大型バスやリムジンを運転してくれた人物で、久し振りの再会だった。

 30分と少しで苫小牧の葬儀専門式場に到着したが、いつの間に連絡してくれたのかは不明だが、正面玄関で整列して迎えてくれたので恐縮した。

  この式場だが、駐車場が数百台という広大な敷地。そこの一部に家族葬専用ホールが建設されていたが、そこでお通夜をされている弔問者の車が50台ほど並ん でいる。そんなお客様に迷惑が及ばない範囲で見学させて貰ったが、「潤沢」そのものという高質な式場空間。お客様のご利用が重なってしまうので困っている そうだが、こんな式場で故人と最後の二日間を過ごされるご遺族は、不幸の中で少しでも「不幸でないひととき」を過ごせるだろうと感じ入った。

 もう20数年前の話だが、全国に葬祭式場が登場した頃、ふと発想したのがホテルを式場に出来ないかということだった。疎んじられて建設に反対されるケースもあり、辺鄙な立地条件を強いられることも当たり前だったし、次のような問題点を分析していた。

『最寄り駅から式場に向かうのは何とかなっても、お通夜や葬儀を終えた時間に駅に戻るには多数となり、送迎バスの積み残しも考えられる』

『喪主さんが最も神経を遣うのはご伴侶の両親の存在だが、中には鍵のある部屋を求められることもあるだろう

『タオル、歯ブラシなどの用意も必要だし、親戚の方々が宿泊可能な部屋と寝具が必要だ』

『通夜ぶるまいの内容や「御斎」の料理の内容にもグレードアップ対応も必要だし、高度な人的サービスも重要だ』

 上記の他にも幾つかあったが、その全てがホテルに揃っていることを知り、葬祭式場の流行はホテルに流れる時代が訪れる予想をしたのだが、それらは現在の「偲ぶ会」「お別れの会」に顕著なところである。

  苫小牧の式場は、そんな発想を見事に具現化しており、美原地区と明野地区に大規模な式場を有し、更にお客様のためにこんな式場を建設された社長は、英断の 背景に「ご遺族の悲しみを理解することに尽力しよう」と昔から行動されていたこともあり賛辞と拍手を贈って来たが、その隣接地に建設された二つの建物の内 部も素晴らしかった。

 過去の研修会の中で、「祭壇を売らない葬儀」というテーマで研鑽を重ねたこともあるが、ここの式場にはそんな発想まで構築されていた。

 幾つも紹介したい発想があったが、企業秘密のなることもあるのでこの辺で結び、式場見学が終わると宿泊するホテルに送って貰ったが、チェックインで荷物を部屋に置くとすぐに車で会食の会場である割烹に行った。

 我が夫婦を入れて6人の会食だが、畳の部屋なのに、私だけ椅子席を準備してくれてい配慮が嬉しかった。

 室蘭と苫小牧の社長が揃っている。私とのご仏縁がなかったら、弊社はどうなっていたでしょうか?」と言われて恐縮したが、「借り」を返しに出掛けた行脚の旅に、「借り」が倍加した出来事となってしまった。

 鮟鱇鍋など珍しい魚の料理に妻が喜んでいる。私が大好物である「バタジャガ」まで用意してくれていたので感涙した。

 会食が終わってタクシーでホテルの戻ったが、室蘭からわざわざ来てくれた人達が別のホテルに宿泊されたことを知って申し訳なく思った。

 腰痛の兆しを感じてしまう。そこでホテルのサービス案内にあるマッサージを依頼。妻を担当する40分コースのオジサンは自転車で15分掛けて来てくれたそうだし、私の60分を担当してくれた女性は30分も車を走らせて来てくれたと聞いてびっくりだった。

 部屋の照明を落とし、「市民斎場の皆さん有り難う」と手を合わせ就寝したが、人生の出会いとは改めて「宝物」ということを実感する出来事でもあった。
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