2013-01-15

歴史の中で  NO 3163


 新しいパソコンになってから、文字の打ち込みで想像以上の苦労を強いられているが、これだけは慣れるしか道はなく、練習を目的に打ち込んでいる。

 過去に青春時代に乗船した関西汽船「浮島丸」のことに触れ、那覇の泊港に入港する際に大変な状況になっており、それが強風による横波を受けて横転沈没した「みどり丸」事故によるものと書いていた。

  当時はアメリカの統治下にあり、1963年8月17日の出来事だったが、数年前に関東のホテルで会ったマッサージ師の方がその時に港にいたそうで、被害に 遭った従妹のことを語られ、そこに入港する「浮島丸」の姿をはっきりと記憶されていると聞き、その奇遇な出会いに驚いたものだが、沖縄からの帰路に乗船し た琉球海運の「ひめゆり丸」のその後のことを知って驚愕することになった。

「ひめゆり丸」が尾道の造船所で進水したのは1963年のこと。その夏に那覇から鹿児島までの航路で乗船したものだが、天候にも恵まれて揺れに揺れた往路とは別世界のように快適な船旅だった。

  2650トンで532名の定員という貨客船だったが、1976年にフィリピンに売却され定員1518名に改造されて「ドン・サルピシオ」号になったのだ が、火災事故を起こし、信じられないことだがそれを保険会社からスクラップとして買い取り、新たに改造して「ドニャ・パス」号として就航させたそうなので 驚きである。

 しかし、この船の本当の悲劇は1979年に発生することになった。絶対に信じられないぐらいの乗客を乗せ、ガソリンを積ん だタンカーと衝突、瞬時に火災が発生し、海運会社の発表では4375名の被害者を出したと言うので、あのタイタニックをはるかに超える最悪の海難事故に なったのである。

「浮島丸」も小笠原航路に売却され、その後に転売されたという歴史を知ったが、どちらも寂しい結末を結んでいたので衝撃だった。

  事故というものは時に運命の悪戯みたいなことを起こすもの。記憶を離れないのは神戸から宮崎県の細島に向かうフェリー「さいとばる」の沈没事故。台風の影 響による荒天を避けるために高知沖の太平洋航路ではなく、第二基準航路となっていた瀬戸内海航路を進み、来島海峡で韓国のタンカーと衝突事故を起こして沈 没した海難事故だが、乗客に犠牲者がなかったことは幸いだった。

 この「さいとばる」にも乗船したことがあり、現在こうして「生かされている」幸運に手を合わせているが、災難とはいつ何処で出遭うかは不明なもの。今日あることはラッキーであると考えたいものだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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