2013-01-29
手を合わせてお詫びを NO 3180
人生「生かされた証し」として綴っているこの「独り言」だが、「書く」ことは恥を「掻く」ことだとこれまでに何度も書いた。そんな恥ずかしいミスだが、これも私の至らぬ責任としてここにお詫びの思いを託してしたためておこう。
反省する範囲内を超越すると「後悔」になってしまうが、オヤジギャグ的に「公開」することになるが、私自身の本音の心情としてここに表記するところである。
後悔しているというのは今年の年賀状のことで、これまでずっと私自身が携わってきたものだが、「お任せください」とスタッフに言われて託してしまったのがそもそもの間違い。信じられないミスをやってくれていた。
ずっと会社名ではなく私の個人名を優先させて来た歴史があるが、それは、我が業種が元旦に相手様のお家に配達される問題を考慮していたからで、そのぐらい は配慮してくれるだろうと考えていたのが軽率だった。個人名を明記せずに社名だけの年賀状を投函していた事実に衝撃を受け、おまけに同じ人物に2通が届い たというケースが複数あったことを知った。
それは、プライベートの住所録と会社の関係が重なっていたことも原因のようだが、個人名のない賀状など「羞恥」の世界だと「周知」して欲しいものであり、ご気分を害された方々には、ここに衷心よりお詫びを申し上げる次第である。
これまでの教育で重視してきたことは「いつも『?』を持つこと」「プロだから『if』という思いを抱き想定外に対応出来るように」「羞恥心を大切に」と教えて来たが、「自身」の膝元で「自信」が「地震」のように揺らぐ現実に情けない思いを抱いている。
知人のお通夜や葬儀に参列する際、気になったことをスタッフに問題として問い掛けるが、昨年は信じられない問題に気付いて指摘したら、担当スタッフの表情が固まっていたこともあった。
お客様がどう思われるだろうか?と優しい言葉で言ったつもりだが、どうやら私の怒りの心情を察していたみたいで、全員が間違いだったことに気付くことになった。
あるスタッフに「どうしてこんな発想を?」と確認したら、昨年に関係していたコンサルの組織団体から学んだと聞いたが、とんでもないことを教えるものだと呆れてしまった。
葬儀の世界で本質を学ぶには「悲しみ」に関する「悲嘆」の研鑽と、重視しなければならない「宗教」の勉強に真摯に取り組むべきだが、そんなことを考えない組織団体のコンサルと交流すること「自体」が間違いで、早急に「辞退」するべきだと伝えていた。
世間にはややこしいコンサルが多い。コンサル側が利益を追求することが優先され、第二に契約を結ぶ業者、肝心要のお客様のことを考えないコンサルなんて笑 止千万であるし、そこから何度も送信されて来ていたメールは全てが「SPAM」だったことも信じられなかったし、内容を読んだら感動の葬儀とあるので笑っ てしまった。
そもそも「感動」という言葉は業者側が出すものではなく、サービス提供を受けられたお客様が結果として言葉にされるもの。そんな言葉を羅列している事実に恥ずかしさすら感じた。
さて、午前中に本館で行われていたご葬儀に参列、式場に平服姿の知人がいる。<なぜ彼が!?>と思って確認したら、手の怪我で病院へ行った帰路に式場の前を通り、玄関にあった故人名を目にされたからだったが、これも不思議な「ご仏縁」のような気がした。
こんなケースは多々あること。早朝の散歩や夜のジョギングで気が付かれたケースも多く、時間の関係上からそのまま参列されたり、急いで着替えてからやって来られたお姿を何度も目にしたこともある。
家族葬の場合は近所の方にお知らせされないケースも多いが、こんな偶然から一気に広まってしまってご多数の会葬者となった出来事もあった。闘病生活を過ご された病院からご自宅に帰られず、弊社の式場に直接お迎えさせていただくことも少なくないが、他府県に在住されていた息子さんが、亡くなられたお父様が地 域の方々と広くて深い交流を結ばれていた事実を初めて知られ、ご挨拶の中でそのことに触れられて感謝をされたこともあった。
人は大切に 送られるべきもの。絶対に「処理的」に済まされることだけは避けなければならない。物流専門の大手スーパーや24時間営業だからとコンビニに葬儀を依頼さ れる発想自身に心の貧しさを感じてしまうのは、葬祭業という仕事がプロの領域となる専門職だと考えている信念からだ。
今、弊社のスタッ フ達は一生懸命に研鑽に取り組んでいる。担当させていただいたお客様から高い評価のお言葉を頂戴することも増えて嬉しく思っているが、弊社を選択されたお 客様が求められる高度な心配りやサービスを期待されていることを理解しなくてはならないと改めて伝えたいところである。