2013-02-11
あの瞬間(とき) NO 3193
昨日、中国卓球の歴史に輝く「荘則棟」氏のご訃報を知った。氏は「ピンポン外交」で知られる人物。心から卓球を愛され、日本国内でも講演をされていたこともあった。
青春時代、氏が親善試合で日本の選手と対戦される姿を目にしたことがあるが、その実力の凄さは抜きん出ている芸術的な強さを感じるレベルで、同じ卓球の世界に身を置いていた立場からも衝撃を受けた光景だった。
丸型のペンホルダー、親指と人差し指で鷲掴みのように握るグリップ。そんな強烈なインパクトを与えられたからか、国内でも丸型のペンホルダーを持つ人が増えたことを憶えている。
1961年から1965年まで、2年に一回開催されていた世界選手権でシングルス3連覇の偉業を遂げられたが、その後中国は世界選手権に参加をせず、 1971年に名古屋で行われた大会でアメリカ選手団と氏が不思議な縁に結ばれ、その接触がやがてニクソンアメリカ大統領の訪中のきっかけとなったことは有 名な話である。
中国を名古屋大会に招聘させる日本の卓球界の裏工作も大変だったようで、台湾卓球協会の除名などの苦労話も逸話として語り継がれている。
氏のその後の人生は波乱万丈であり、文化大革命の攻撃対象者として投獄されてしまい、著名なピアニストだった奥さんと子供達にも去られるという不幸な時代を過ごされている。
その後来日された際に通訳を担当された女性と中国国内で再会されることになったが、国際結婚に関しては許可されない期間が流れ、重職にあった人物が許可を出し、日本人と再婚されていた。
晩年は多くの人達に指導をされる日々を過ごされたそうだが、改めてそのお姿を思い浮かべて手を合わす。
氏の有名な言葉が中国国内で語り継がれている。それは、コーチの人達が「まだ練習を続けるのですか?」と終りたい雰囲気で伝えたことに対するもの。「生きている内にそんなに寝ていたら死んでからどうするのか」と言われたことだった。
まだビデオのない時代、8ミリ映像で撮影されたライバルだった日本選手を徹底分析、独特の技術を磨かれた結果に世界一という栄冠が輝いたものだが、中国の卓球の歴史にも絶対に消えることのない功績者として伝えられており、それは永遠に語り継がれることになるだろう。
さて、昨日に不思議なテレビニュースを観てびっくりした。他人に成りすまして遠隔操作で脅迫メールを送信し、災難みたいな冤罪事件を引き起こした容疑者の 逮捕だが、「午前6時20分、マンションへ捜査関係者が入ります」というような映像だが、NHKだけかと思ったら何処の民放も放送されているし、容疑者が カメラの存在に気付いて身を隠すような素振りを見せたことからも、多くのカメラが中継していたようであった。
一部の報道では、午前3時台にテロップでニュース速報として流されたそうだが、もしも容疑者が見ていたら証拠隠滅の行動に走ることも予想された筈。警察から報道関係者にどんな経緯で伝わったのかが疑問で、何やら物議を醸す問題となって広まっているようだ。