2013-02-20
お布施のこと NO 3202
昨日、他府県から同業者の社長が来社。久し振りに顔を合わせて時間を過ごしたが、そんな中でびっくりした話があった。
ある葬儀を担当し、後日に電話があって参上したら、ご当家の方が困っているという相談だったのだが、テーブルの上に出されたのは銀行の振込み用紙。振込先は導師を務められたお寺さんで、お布施は振込みをして欲しいと言われたそうだ。
時代が流れて世の中が変わったのだろうか。こんな話は初めて耳にしたことだが、このような発想をされる宗教者もおられることにびっくり。きっと若い住職だったのだろうと想像した。
昔、ある東京のテレビ局の依頼から生放送に出演した際のこと。テーマは葬儀に於ける「?」だったが、その中で「お布施の金額は?」という質問があった。そこで私が答えたのは次の内容だった。
「お 布施には『財施』『法施』『無畏施』の三つがあり、自分の出来る範囲で行うべきことですから料金は決まっておりません。ですから悩んでお考えになられるこ とも大切なことです。『喜捨』という考え方もありますし、落語的に言いますと『施与』という言葉からもっと『せよ』になりますし、『施し』という言葉から すれば『程を超せ』ともなるかもしれません。ご自身に負担を掛けて差し出されるという行為に功徳という有り難い心を頂戴することにもなります」
進行を担当していた著名な司会者は困惑の表情を見せられたが、枕経は幾ら、お通夜は幾らなんてことを発言すること自体がおかしなことで、過去にベストセ ラーとなった冠婚葬祭関連の書籍の中で「読経料」という考えられない言葉が記載されていて物議を醸したのも当然のことである。
ここで、過去にも書いたことのある逸話を再掲しておこう。
あるお寺の縁側で住職と友人の方が碁を打っている。そこへ大店の店主がやって来て「布施」をさせて欲しいと言ったのだが、住職は「本堂のご尊前に置いてく れればよい」と返し、怪訝な表情になった店主が本堂で供えてから縁側に戻り、「仰るように置いて参りました」と伝えても相変わらず知らん顔をして碁に夢中 の住職。それが理解出来ない店主は、ふと「礼の一言でも言ったら」と、つい本音の言葉を滑らせたのだが、それを耳にされた住職は、顔色一つ変えずに「お前 さん自身が功徳になることをしていることに、なぜ私が礼を言わなければならないのだ」と説かれたそうだ。
前述の番組の話だが、放送終了 後に担当プロデューサーから「プロらしいお答えでしたね。お寺さんと言う方々から『よかった』という電話が数件ありました」と報告を受けたが、司会者に対 しては「お布施」という奥の深い問題について説明し、上述の逸話を話すと「勉強になりました」と感謝されることになった。
過去にある葬儀社の社長がテレビ番組の中で、「ご遺族」のことを「消費者」という言葉で表現したので衝撃を受けたが、プロなら絶対に使用しない発言である。