2013-04-05

早世してしまった友人のこと  NO 3243


 青春時代にギターに興味を覚えて挑戦したことがあった。手解きをしてくれた人物は弊社の斜め前に住んでいた人物で、私より少し年上の年齢だった。

 所謂「ガットギター」というものだったが、フォークソングがブームになり、大きな影響を受けたのは「ジョーン・バエズ」と「ベティ&クリス」で、その後「ピーター・ポール&マリー」や「ブラザース・フォア」の曲に傾いて行った。

 そんな頃に別のジャンルで注目を浴びていたのがフランスのギタリスト「クロード・チアリ」氏で、映画音楽であった「夜霧の偲び逢い」を二人で合奏したことも何度もあった。

 その後、古賀メロディーに特徴のあったイントロ部分に興味を抱き「影を慕いて」「湯の町エレジー」「酒は涙か溜息か」「悲しい酒」などの曲をマスターして行った。

 彼の持っていたギターの低温部分の響きに特徴があり、私のギターが安物だったからかもしれないが、調弦しても何処かで狂っている部分があり、何やら音色が硬かったので何度か交換して演奏をやったこともあった。

 初めて会った時、色の白い人だという印象を感じたが、先天的な病に侵されていることを聞き、惜しくも20代でこの世を去ってしまったので衝撃だった。

  当時に、不思議と私に好感を抱いて大切にしてくれたもう一人の人物のことも忘れられない存在だ。彼も少し年上だったが、九州の中学を卒業後すぐに集団就職 で生野区内にあった町工場に就職。スポーツを通じて交流が始まり、いつもあちこちで食事をご馳走してくれたので感謝することばかりだった。

 住み込みの社宅からアパートへ移り、それと同時に一か月分の給料が飛んでしまうぐらいのステレオをローンで購入し、私が小遣いで買ったレコードを持参して聴いたことが何度もあった。

  気の小さな性格だったが、至って健康で、何を食べても当たらないと豪語していた彼なのに、20代後半になってから体調に異変を感じ始め、病院で診察を受け たら「胃がん」であることが判明。どんどん痩せ細る一途、入院時の半分近くの体重になってしまい、点滴だけの闘病生活を余儀なくされていた。

見舞いに行くと徐々に痛々しい状態になってしまい、点滴の針を手の甲や足の甲から入れているのを目にして私に出来ることは激痛が緩和されるように神仏に祈るしかなかった。

 そして、それから間もなく28歳という短い生涯の幕を閉じて旅立ってしまった。

  彼には東京にお姉さんがおられたし、弟さんが一人おられ。お母さんにもお会いしたこともあったが、彼と知り合って間もなく頃、実家のお父さんが亡くなられ たところから葬儀で九州へ戻ることになったが、香典と共に会社のスタッフに頼んで立派な白木位牌と骨袋を貰い、持って帰るように手渡したのだが、帰阪した 時に地元で担当した葬儀社が「何処でこんな立派な物を!」と驚かれたと聞いた。

 彼とは様々な思い出があるが、信じられないことや面白い ことは次の機会に紹介するとして、当時の年末の帰省で国鉄の切符を入手するのは大変だったことに触れておこう。発売日の数日前から大阪駅前にテントが張ら れ、そんな光景が「テント村」と呼ばれて風物詩となっていた歴史があるからだ。

銭湯に行ったら、先日のお通夜の日にご多数の方が銭湯に来られ、有り難うございましたとお礼の言葉を頂戴して恐縮した。ご高齢の女性のご不幸だったが、お 孫さんや曾孫さん達もご一緒だったそうで、お通夜の「御斎」を終えられてから来られたのだろうが、お通夜の日に銭湯へ行ったねという思い出がこれからの人 生にあって意味のある「命の伝達」の1ページになった気がする。

 式場に準備されている銭湯セットも好評で、式場から徒歩1分の立地で2軒の銭湯が存在していることに有り難いことだと感謝している。
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