2013-05-12
社会の裏側で NO 3282
我が国で火葬場の物理的事情で数日間葬儀を遅らせるという事態も起きているが、イタリアリアではもっと深刻な状態を迎えており、20間ぐらいも火葬を待たされる事実が起きているそうだ。
お釈迦様が火葬された歴史もあり、仏教色の強い我が国では火葬が当たり前だが、クリスチャンの世界では「復活」という問題もあり、過去には国教から火葬が 認められない国も存在していたのだから大変。墓地が物理的に間に合わなくなって国教の一部の変更を余儀なくされた歴史もある。
東京に誰もが知る「青山葬儀所」という存在があるが、中国ではお墓の別称が「青山」で、青山の名称の付いた大学の存在を知ればさぞかし驚愕されるだろうと想像する。
イタリアの現実を伝えるニュースの中に、ある漢詩が紹介されていた。幕末にご活躍された勤皇攘夷派の僧侶「月性」師で、山口県の浄土真宗本願寺派のお寺様が残された碑文の言葉が伝わっている。
「男児志を立てて郷間を出づ、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」
男たるもの、一旦志を以て故郷を出れば、学ぶべき結論に至るまで戻るべきではない。自分の骨を埋める場所を故郷に考えるべきではなく、何処でも墓となる場所があるではないか。そんな意味のようだが、「人間」は「じんかん」と読み、「青山」は「せいざん」と読む。
そんな漢詩に因む言葉を知った時、同じ山口県出身のある人物の言葉が思い出された。その方はブラジルへ移民された方で、現地でご苦労されて「玉ねぎ王」と 称されるほど成功に至った人物だったが、サンパウロ郊外でお話しさせていただいた際、骨はサンパウロに埋葬して欲しいと願っていると仰ったことが印象に 残っている。
生涯独身を貫かれる人も増えているし、何かの事情から離婚された方も多く、子供の存在がない場合の墓地問題が話題に多い。幼い頃を過ごされた故郷の菩提寺に納骨を願う人もある一方で、大都会のお寺が設置されている納骨専門の墓苑を希望されている人もいる。
最近に目立って多い「樹木葬」という言葉だが、それはあくまでも「納骨」という世界で「葬儀」の形式ではないことを知っておきたいもの。勝手な思い込みで 誤解される方も少なくなく、喫茶店で会う常連客の方から事前相談を受けた際にアドバイスをしたら初めて知ったと言われてびっくりしたこともある。