2013-10-27

そうなのだ!  NO 3442


 目にする文字、耳にする言葉を異なる観点から考えてみると「そうなのだ!」と学ぶことも少なくないもの。

 昔、ある宗派の本山から依頼を頂戴して、説教を専門にされるお寺さん達に講演をしたことがあった。少し早めに到着したところから午前中に行われていた講演を受講させていたのだが、その講師を担当されていた高僧のお話が印象に残っている。

「葬儀の導師を務めていて弔電の代読を耳にすると腹立たしくなる。ご冥福を祈るなんて真っ暗な冥土で幸せにと聞こえるし、安らかにお眠りくださいなんてもう出て来るなと言っているように聞こえる」

「弔 辞を聞いていると黄泉の国なんて言葉が出て来るが、黄泉とはこれ以上汚い世界はないというぐらいのこと。そんな国に生まれてどうするのだと思うし、草葉の 陰なんて耳にすると、そこはコオロギの住む世界ではないか。もっと酷いのは鬼籍に入られてという言葉。故人を鬼にしてしまったら気の毒ではないか」

 そんな内容だったと記憶しているが、拝聴していると妙に納得してしまったのである。

  我々葬儀の司会者にとって知っておきたいのは、葬儀というものが非日常的なことだと言うことで。関連することに日常にしないことを行っていることも多い。 「「お骨揚げ」に使用される箸の長さや材質の異なり、そして「橋渡し」もそうだし、「逆さ屏風」や「逆さ晴れ着」の慣習や、湯灌には湯に水を入れて温度を 調整するものではなく、水に湯を足すということも行われている。

 葬儀の使いは一人で行くなとか、一膳飯はそれだけを炊かなければならないなんて語り継がれているが、迷信みたいな習俗でも宗教よりも土着した慣習の方が強いこともあるので簡単ではない。

「ま た」「引き続き」「重ね重ね」などの常識的な禁句も知っておかなければならないが、弔電に多い「御尊父様」や「御母堂様」などの敬語の重複はどうなるのだ ろうと考えるとややこしくなってしまうし、それらは非日常的なことということで自身を無理やり納得させているところである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net