2014-03-15

葬送の重み  NO 3578


葬送の重み  NO 3578
昨日の地震はかなり揺れたようで、過日に行った尾道でお世話になった人物のブログでそのことが触れられていた。

今日、その人物から宅配便が届き、珍しい物と一緒に編集された立派な写真アルバムを頂戴して恐縮している。

多忙を極める中、車であちこちに案内してくれたことに手を合わせていたが、行く先々で撮影してくれた写真にそれぞれ言葉が添えられてあり、彼女ならではの優しさあふれる完成度に「本当に優しい方だった」と妻が改めて感謝していた。

ご仏縁に結ばれて交流のある人達は優しい性格の人達ばかりだが、それは葬儀という仕事で最も重要なことで、特にマイクを手にする立場には内面がそのまま伝わることになると言われている。

こ れまでに指導した司会者の人達に伝えたかったことがこの考え方。技術ばかりに重きを置くと「冷たい司会者」になってしまうので「温かい司会者」になりなさ いと教えて来た歴史があるが、それは表面だけでは絶対に無理なことで、大切な方を亡くされた「悲しみ」を理解して共有することで言葉の表現伝達力が異な り、そこに「体感に勝ることなし」という言葉が生まれるのである。

多くの同業者にアドバイスをして来た歴史があるが、「親を送って喪主を体験したら一人前の葬儀社になる」「孫を持って初めて本物の葬儀社になる」と説いたことが理解出来るのは高齢になってからなので残念だが、それまで「謙虚」であることが重要であろう。

さ て、ニュースの中に残念な記述があった。葬儀に費用が掛かるので「献体」が増えているというものだったが、「献体」は確かに崇高な精神行為だが、私がこれ までに体験したケースはお通夜や葬儀を終えてから大学病院などに送られた方々。人生の終焉の儀式もされずに「処理」みたいな書き方をされていた人物の思想 に強い抵抗感を覚えたが、最近はそんな人達の意見を採り上げるマスメディアが多いことも残念である。

また「IDY」というそれこそ「処 理」という葬送形式を提案していた人物がいた。「Y」はセルフにつながる考え方で、病院で診断書を貰って家族が全てを執り行う形式で、搬送も自分の車やレ ンタカーを利用、柩はネットで購入し、役所への死亡届や火葬場の申し込みも自分で行うというものだが、故人を大切に思う人なら絶対に出来ない発想だと指摘 したいし、こんな提案が世に出て来ることを寂しく思うこの頃である。

葬儀を担当させていただくということはプロの仕事である。最近は紹介ビジネスとしてスーパーやコンビニ的発想が潮流のようだが、人生とはそんな軽いものでないと考えたい。
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