2014-03-31
ラストフライト NO 3594
全日空で運用されていたジャンボ機が今日で引退。国内でその姿が見られるのは貨物機と政府専用機だけとなった。
飛行機嫌いだが、振り返れば何度も搭乗した思い出がある。札幌、那覇、熊本、東京などで利用したが。ロスアンゼルスから羽田までや、フランクフルト、パリの便でも記憶に残っている。
日航機の墜落事故で犠牲になった方の葬儀を担当したことも忘れられないが、パイロットの間では安定感が際立つ名機と称され、消費燃料さえよければまだまだ使われていたかもしれない。
飛 行機で忘れられない体験は、東京から伊丹に帰って来た時の日本航空の「DC-8型機」だった。羽田空港を離陸してしばらくすると、隣席の人物が「間もなく 揺れますよ。今日は気流が悪いので」と言ったのでびっくりしたら、その人はパイロットだそうで、話によると富士山近くから鈴鹿山脈まで大揺れと言われた。
揺れ始めたのはそれから間もなくだった。それも半端じゃないほどの揺れ。エアポケットに落ち込んだようにスーと下がったりするので気持ち悪くなり、心の中で降ろしてくれと叫んでいた。
「腰をシート―にしっかり密着させるように座りなさい。今のは150メートルほど高度が下がりました」なんて解説してくれたのだが、聞く余裕も全くないほど恐怖の体験の最中だった。
羽田と伊丹間は約1時間の飛行だったが、揺れが落ち着いたのは奈良県上空に入ってから。その人物の言われた通り、鈴鹿山脈の上空まで大揺れだった。
そ れは、私が20代の頃の体験だったが、それから半年も経たない内にまた大変な目に遭った。長崎県の大村空港から伊丹に向かう「フレンドシップ機」だった が、機内サービスが始まってしばらくしたら急に揺れ出し、客室乗務員が手にしていたレモンティを私のスーツの左ポケット付近に直撃させたのである。
幸い火傷することはなかったが、平身低頭謝罪され、伊丹空港へ到着したら「規定ですので」と言われてクリーニング代を貰った。
オランダ製造の双発機「フレンドシップ機」は人気があった。40人ぐらいしか乗れなかったが、翼が胴体の上部にあるのでどの席の窓からでも眺望出来たからだ。
そうそう、「DC-8型機」はダグラス社が製造したものだが、ビートルズの来日、横井庄一さん、小野田寛郎さんが帰国された際にも使用され、パンダが上野動物園に送られた際のニュース映像が印象に残っている。
そのラストフライトは今から27年前のこと。その年の12月31日であった。