2014-04-25
思い出したこと NO 3617
昔からの友人に久し振りに会った。彼とは青春時代に4人で伊勢に旅行したことがあり、懐かしくその時の話題が出て来た。
当時は近鉄特急も宇治山田駅までで、そこから鳥羽へはバスの路線があったが、宇治山田駅前でレンタカーを借り、それで志摩半島を巡るという計画で、二見と鳥羽の中間地点にあったボウリング場に入ってみんなでびっくりするものを目にした。
並んでいるピンに紐が付いており、倒れたピンと倒れなかったピンの両方が上から吊り上げられる光景に驚いたのである。
ボウリングが世に登場した頃は、ピンの整理をその度に担当してくれるスタッフがいたそうだが、その次に登場したのがこの「吊り下げ」タイプみたいだった。
途中で何度も紐が絡まってしまい。その度にスタッフに知らせて残っていたピンの番号を
セットして貰って進めたが、そんな一昔前の設備は貴重な体験であった。
このボウリング場から鳥羽の方へ行き、しばらく走ると左側に海が見えて来るが、狭い湾内に小さな白い船が停泊しているのは今でも同じで、そこは鳥羽商船学校の船着場となっており、それは練習船であった。
遠い昔のことだが、弊社にその鳥羽商船学校出身のスタッフがおり、毛筆の達筆な腕は芸術的とまで称された人物で、忘れられない体験があるので紹介しておこう。
ある神式の葬儀だった。その宗教の関係者が東京から来阪されることを知り、その方が著名な書家ということから入り口に立て掛ける「故**儀 葬儀式場 **家」という文字を書いていただくこととになった。
その板に関して触れておくと全てが同じという訳ではなく、幅、長さ、厚さ、材質などが異なっており、節のない「ヒノキ」から「樅」などがあり、それらはお客様のご予算によって準備する物が違っていた事情があった。
著名な書家と聞いたらおかしな物は持参出来ず、「ヒノキ」の幅広くて厚い板を届けておいたのだが、その人物が式場に到着されて書き始められると問題が発生。「もう一枚準備して欲しい」という電話が掛かって来たのである。
事情を伺うと文字のバランスが整わず、ちょっと足りなかったということだったが、紙と木の上では随分と違い、木は相当体験した者でしか難しいという事情もあった。
そしてもう一枚を届けたら、「やはり木は思うような字が書けない」となり、弊社の前述のスタッフが対応することになったが、式場でその先生の前で書き上げたら「見事!」と感嘆されたそうである。