2014-05-02

命の伝達  NO 3624


壮絶な闘病生活の中でしたためられた故人の手紙を代読した葬儀もあるが、病状の悪化から付き添われていた奥様に「口伝」みたいな状況で代筆されたものの代読も印象に残っている。

孫さん達に対して「立派な生き方をしなさい」「他人に迷惑を掛けないように」というような愛情が伝わる内容に参列者が感銘を受けられていた。

司会を担当する中で手紙の代読は少なくないが、孫さん達が書かれた感謝の言葉は何より不幸な式場空間に「少しでも不幸でないひととき」が生まれるので素晴らしいことだといつも歓迎していた。

出来るだけご本人に捧げていただきたいと願っているが、ご家族の方から「代読を」と言われることもあり、その時は「鍵カッコ」の表現に神経を遣って代読するように努めて来た。

葬 儀は「命の伝達式」という私の哲学も重視して来た。お柩を閉じる時に「皆さんはお爺ちゃんの命を伝達されています。だからお爺ちゃんに命を有り難うと感謝 しなければなりませんし、命を大切にしますと誓いましょう」と説教染みた言葉を掛けたこともいっぱいあるが、それは葬儀の中で重要な意味があると信じてい た行動実践でもあった。

社会に無宗教形式の葬儀が流行の兆しを感じ始めた頃、宗教者がおられない中で担当するなら単なる「司会」では故人に対して失礼。「会」ではなく「式」で送るべきであり「司式
」と認識することが求められると提案し、大きな反響を呼んだ出来事もあった。

そんなプロセスで構築したのが私のオリジナル形式で、他に類を見ない「故人への語り掛け」「ご遺族への慰め」「参列者への説教型呼び掛け」「全員参加型」という形式が歓迎され、参列された方々の体感から要望が一気に広まったという歴史もあった。

こ れは、率直に言って若い司会者には無理なことである。多くの司会者に指導した中でこの形式を体感させたことがあるが、「和達では無理です」と認めた人達は その後に成長したが、「学ぶ」ではなく単に「真似ぶ」という行動に至った人達には「挫折」「と「壁」に苦悩された人も少なくなく、そこから再度指導を受け て開眼した司会者もおられた。

司会は言葉の技術ではない。悲しみの光景の体験の重みやそこから学んだ人生哲学を背景に自然に醸し出すイ メージこそ重要で、外観ではなく内感から伝わる言葉の意味が参列者の心の扉を開け、会場空間に身を置かれる方々が「神変」の環境を抵抗なく、いつの間にか 式場空間に包まれる状況になれば理想である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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