2014-06-04

??0年前のこと  NO 3657


沖縄がアメリカ統治から返還されてから随分と経つが、相変わらず基地問題は続いている。

ア メリカに統治されていた時代に船を利用して沖縄へ行ったことがある。往路は神戸の中突堤から出航した関西汽船の「浮島丸」だったが、猛烈な低気圧が接近中 で風が強く、大阪湾を出る友ヶ島付近から奄美大島の名瀬港まで船酔いで何も食べられず、停泊している時に少しだけ食べることになったが、同行していた4人 はグロッキー状態で那覇に到着することになった。

名瀬港から先にも幾つかの島に立ち寄る航路だったが、台風状態の大荒れの中で歴史に残る「みどり丸」の転覆事故が発生しており、那覇の泊港に入港した時には被害者の家族達が大勢駆け付けておられ、大混乱していたことを記憶している。

これに関しては過去に触れたことがあるが、その中におられた人物と10年ほど前に偶然に会うご仏縁があり、不思議なめぐり逢いに驚くことになったが、運命とは想像もしなかった出来事につながることがあることを知った。

帰路で利用したのは那覇と鹿児島を結ぶ航路に新造された「ひめゆり丸」で、8月に乗船したのだから就航してから4か月後ぐらいだった。

1963年だったのでパスポートが必要で、1ドル360円時代だったが、初めて「コーラ」を体験したことも憶えている。

また、鹿児島から東京行きの「急行 きりしま」で帰阪したが、当時はSL列車だったので煙と煤で参ったことが印象に残っている。

さ て、数奇な運命について触れるが、前述の「ひめゆり丸」はやがてフィリピンに売却され、その後に火災事故で廃船となったが、そんな状態を買い取って大改造 して就航させ、過日の韓国のフェリーどころではない定員で就航し、ガソリンを満載した船と衝突、瞬間に海上が火の海となってタイタニック号をはるかに超え る最悪の海難事故となった出来事が起きていた。

それが「ドニャ・パス号事故」だが、乗組員も全員死亡してしまったそうだし、乗船名簿もなかったので実際の被害者数は不明で、一部の情報では4000名を超えていたという報道もあったようだ。

一方の「浮島丸」は小笠原海運に転売され、「父島丸」として東京と小笠原を航行。その後に外国に転売され台湾で解体されたことを何かの書物で読んだ記憶がある。

ネットの資料によると「父島丸」は38時間を要していたそうだが、明治時代には8日間も要していたことを知った。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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